“催(もよう)” の例文
今(いま)其(その)美(うる)はしく殊勝(けなげ)なる夫人(ふじん)が、印度洋(インドやう)の波間(なみま)に見(み)えずなつたと聞(き)いては、他事(ひとごと)と思(おも)はれぬと、そゞろに哀(あわれ)を催(もよう)したる大佐(たいさ)は、暫時(しばらく)して口(くち)を開(ひら)いた。
すると或(あ)る時(とき)、鎌倉(かまくら)のある所(ところ)に、能狂言(のうきょうげん)の催(もよう)しがありまして、親子(おやこ)三人(にん)連(つ)れでその見物(けんぶつ)に出掛(でか)けました折(おり)、不図(ふと)間近(まじか)の席(せき)に人品(じんぴん)の賎(いや)しからぬ若者(わかもの)を見(み)かけました。
大祝賀會(だいしゆくがくわい)を催(もよう)すとの事(こと)、其(その)仕度(したく)に帆木綿(ほもめん)や、檣(ほばしら)の古(ふる)いのや、倚子(いす)や、テーブルを擔(かつ)ぎ出(だ)して、大騷(おほさわ)ぎの最中(さいちう)。
此(この)弦月丸(げんげつまる)にも屡(しば/\)其(その)催(もようし)があつて私等(わたくしら)も折々(をり/\)臨席(りんせき)したが、或(ある)夜(よ)の事(こと)、電燈(でんとう)の光(ひかり)眩(まば)ゆき舞踏室(ぶたうしつ)では今夜(こんや)は珍(めづ)らしく音樂會(おんがくくわい)の催(もよう)さるゝ由(よし)で、幾百人(いくひやくにん)の歐米人(をうべいじん)は老(おい)も若(わか)きも其處(そこ)に集(あつま)つて