“こうぶ”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
荒蕪43.8%
12.5%
12.5%
後部9.4%
甲武6.3%
洪武3.1%
耿武3.1%
公武3.1%
口部3.1%
黄武3.1%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
仁愛の基礎の上にその国是こくぜを定めんか、或はえいのウイリヤム、ペンを学び、荒蕪こうぶを開き蛮民と和し、純然たる君子国を深森広野の中に建立けんりつせんか、或はべいのピーボデーを学び
基督信徒のなぐさめ (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
八つまではなだへうちこむ五斗兵衛ごとべえ末胤まついん酔えば三郎づれが鉄砲の音ぐらいにはびくりともせぬ強者つわものそのお相伴の御免こうぶりたいは万々なれどどうぞ御近日とありふれたる送り詞を
かくれんぼ (新字新仮名) / 斎藤緑雨(著)
冤罪えんざいこうぶッてはこれを弁解する必要が有る。だからこのまま下へ降りる事は出来ない。何故痩我慢なら大抵にしろと『忠告』したのが侮辱になる。
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
五個の土偶は何れも後頭部に多少たせうの膨らみ有り。第一、第二、第三の三個に於てはことに甚し。此の膨らみはうたがひも無く頭巾の後部こうぶを示せしものなり。
コロボックル風俗考 (旧字旧仮名) / 坪井正五郎(著)
その寓していた家は麹町の土手三番町、甲武こうぶの電車の通る土手際どてぎわで、芳子の書斎はその家での客座敷、八畳の一間、前に往来の頻繁ひんぱんな道路があって、がやがやと往来の人やら子供やらでやかましい。
蒲団 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
年はあらたになりて建文二年となりぬ。えん洪武こうぶ三十三年と称す。燕王は正月の酷寒に乗じて、蔚州いしゅうを下し、大同だいどうを攻む。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
濂の人品おもう可きなり。孝孺洪武こうぶの九年を以て、濂にまみえて弟子ていしとなる。濂時に年六十八、孝孺を得ておおいに之を喜ぶ。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
耿武こうぶは、身を挺して、袁紹えんしょうを途上に刺し殺し、そして君国の危殆きたいを救う覚悟だった。
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ひとり長史耿武こうぶは、憤然と、その非をあげていさめた。
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
或時あるときに家老の隠居があって、大層政治論の好きな人で、私が家老の家にいったらば、その隠居が、ドウも公武こうぶあいだはなはだ穏かでない、全体どうも近衛様このえさまうも有りそうもない事だとか
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
おほいに疲勞ひらうしてたので、引揚ひきあげやうかとかんがへてうち幻花子げんくわしは、口部こうぶだけけて、完全くわんぜんなる土瓶どびんを一掘出ほりだした。
武昌の南郊に盛大な壇をきずいて、大礼の式典を行い、天下に大赦たいしゃを令し、即日、黄武こうぶ八年の年号を、黄龍こうりゅう元年とあらため、先王孫堅そんけんに対しては、武烈ぶれつ皇帝とおくりなして、ここに、呉皇帝の即位は終った。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)