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逝去
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せいきょ
ふりがな文庫
“
逝去
(
せいきょ
)” の例文
幸子はそう聞くと、もう一度妙子に附き合って貰ってその明くる日に見舞いに行ったが、それから五六日過ぎて
逝去
(
せいきょ
)
の通知が来た。
細雪:02 中巻
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
だが不幸にも家治将軍は、その後間もなく
逝去
(
せいきょ
)
した。田沼主殿頭が
薬師
(
くすし
)
をして、毒を盛らせたということであるが、真相は今にわからない。
銅銭会事変
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
其れから先生
逝去
(
せいきょ
)
後の御家の
挙動
(
ふるまい
)
は如何です? 私はしば/\叫びました、先生も先生だ、
何故
(
なぜ
)
先生は彼様な烈しい
最後
(
さいご
)
の手段を取らずに
みみずのたはこと
(新字新仮名)
/
徳冨健次郎
、
徳冨蘆花
(著)
だが、しょうことなしにヒラメ(新聞)をひろげると、帆住博士の
逝去
(
せいきょ
)
が、かなりのスペースを取って大きく報道してあった。
いやな感じ
(新字新仮名)
/
高見順
(著)
然
(
しか
)
るところ寛永十八年妙解院殿存じ
寄
(
よ
)
らざる御病気にて、御父上に先立ち、御
逝去
(
せいきょ
)
遊ばされ、肥後守殿の御代と相成り候。
興津弥五右衛門の遺書(初稿)
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
▼ もっと見る
逝去
(
せいきょ
)
二年後に発表のこと、と書き
認
(
したた
)
められた紙片が、その蓄積された作品の上に、きちんと載せられているのである。
愛と美について
(新字新仮名)
/
太宰治
(著)
頼朝が
逝去
(
せいきょ
)
するとともに、頼家が
家督
(
かとく
)
を相続したが、
朋党
(
ほうとう
)
の
軋轢
(
あつれき
)
に
禍
(
わざわ
)
いせられて、
僅
(
わずか
)
に五年にして廃せられ、
継
(
つ
)
いで伊豆の
修禅寺
(
しゅぜんじ
)
で
刺客
(
しかく
)
の手に
斃
(
たお
)
れた。
頼朝の最後
(新字新仮名)
/
田中貢太郎
(著)
クリストフはふたたび一人残って、
逝去
(
せいきょ
)
のその日々に立ちもどってみた。一週間、もう一週間になっていた……。
嗚呼
(
ああ
)
、あの
女
(
ひと
)
はどうなったのだろう。
ジャン・クリストフ:05 第三巻 青年
(新字新仮名)
/
ロマン・ロラン
(著)
居士
逝去
(
せいきょ
)
後
俄
(
にわか
)
にまめまめしげに居士の弟子となった人も沢山あった。その人らは好んで余らの不謹慎を責めた。
子規居士と余
(新字新仮名)
/
高浜虚子
(著)
そういう時にも師匠は寛大な人ゆえ、あれは、ああいう男だと深く
咎
(
とが
)
めはされませんでしたが、今度の師匠の
逝去
(
せいきょ
)
の際においても、やっぱり政吉は店におらず
幕末維新懐古談:28 東雲師逝去のこと
(新字新仮名)
/
高村光雲
(著)
聞かせて呉れ、いいな。……そこで単刀直入だ、貴公も御尊父の
逝去
(
せいきょ
)
でいよいよ家督をすることになるだろうが、それについて、妹の小房を嫁に貰っては呉れないだろうか
柿
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
そして二十三日午前に
逝去
(
せいきょ
)
した。かつて知人の死去のおりに持参する
香奠
(
こうでん
)
がないとて
樋口一葉
(新字新仮名)
/
長谷川時雨
(著)
そして一八三九年には
従姉
(
いとこ
)
エンマ・ウェジウッドと結婚し、その後一八四二年にダウンという土地に移り、ここに一八八二年四月十八日に
逝去
(
せいきょ
)
するまでの長い年月を平和に送りました。
チャールズ・ダーウィン
(新字新仮名)
/
石原純
(著)
○夏目先生の
逝去
(
せいきょ
)
ほど惜しいものはない。先生は過去において、十二分に仕事をされた人である。が、先生の逝去ほど惜しいものはない。先生は、このごろある転機の上に立っていられたようだから。
校正後に
(新字新仮名)
/
芥川竜之介
(著)
その後、造酒之助は故あって、主家より
暇
(
いとま
)
を賜わり、江戸に出ていたが、中務大輔
逝去
(
せいきょ
)
の
趣
(
おもむき
)
を伝え聞くや、大坂に在った武蔵を訪うて
私
(
ひそか
)
に永別の
盃
(
さかずき
)
を汲み、姫路に下って
追腹
(
おいばら
)
を切って果てたのである。
随筆 宮本武蔵
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
その翌日午前十時、五十嵐老博士の
逝去
(
せいきょ
)
が発表せられた。
偉大なる夢
(新字新仮名)
/
江戸川乱歩
(著)
今やその人が
逝去
(
せいきょ
)
したとすれば、
図
(
はか
)
らずもこゝに機会は
廻
(
めぐ
)
って来た訳で、もし滋幹が欲するならば、母に逢う道は容易に見出されたであろう。
少将滋幹の母
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
逝去
(
せいきょ
)
二年後に発表のこと、と書き
認
(
したた
)
められた紙片が、その蓄積された作品の上に、きちんと載せられているのである。
ろまん灯籠
(新字新仮名)
/
太宰治
(著)
そうして明和事件の際には、八丈島へ流されることになった。しかるに八丈島へ到着しない先に、三宅島において
逝去
(
せいきょ
)
して、尊王主義の人々を悲しませた。
娘煙術師
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
抱月氏の
逝去
(
せいきょ
)
された翌日、須磨子は明治座の「緑の朝」の狂女になっていて、舞台で
慟哭
(
どうこく
)
したときの写真も
凄美
(
せいび
)
だったが、死の幾時間かまえにこんなに落附いた静美をあらわしているのは
松井須磨子
(新字新仮名)
/
長谷川時雨
(著)
けんもつ忠善はすでに
逝去
(
せいきょ
)
し、忠春が
従
(
じゅ
)
五位の右衛門太夫に任じていた。
日本婦道記:墨丸
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
今日
(
きょう
)
、ビルコフさんの書いた故先生小伝の英訳を見て居ましたら、丁度先生の
逝去
(
せいきょ
)
六週間前に撮影されたと云う先生とあなたの写真が出て居ました。
熟々
(
つくづく
)
見て居る内に、私の眼は
霞
(
かす
)
んで来ました。
みみずのたはこと
(新字新仮名)
/
徳冨健次郎
、
徳冨蘆花
(著)
某
(
それがし
)
致仕
(
ちし
)
候てより以来、当国
船岡山
(
ふなおかやま
)
の
西麓
(
さいろく
)
に形ばかりなる
草庵
(
そうあん
)
を営み
罷在
(
まかりあり
)
候えども、先主人
松向寺殿
(
しょうこうじどの
)
御
逝去
(
せいきょ
)
遊ばされて後、
肥後国
(
ひごのくに
)
八代
(
やつしろ
)
の城下を引払いたる
興津
(
おきつ
)
の一家は、同国
隈本
(
くまもと
)
の城下に在住候えば
興津弥五右衛門の遺書(初稿)
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
私は、三井君の親友から葉書でその
逝去
(
せいきょ
)
の知らせを受けたのである。このような時代に、からだが悪くて兵隊にもなれず、病床で息を引きとる若いひとは、あわれである。
散華
(新字新仮名)
/
太宰治
(著)
おさく師匠の
逝去
(
せいきょ
)
、シュトルツ一家の帰国、東京行き、関東大暴風、奥畑の手紙が
捲
(
ま
)
き起した暗雲、………と、今迄随分いろいろな事件が多かったのに、それが
此処
(
ここ
)
へ来て一遍に静かになったので
細雪:02 中巻
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
その帰り、二人の男が
相合傘
(
あいあいがさ
)
で歩いている。いずれも、その
逝去
(
せいきょ
)
した老大家には、お義理一ぺん、話題は、女に
就
(
つ
)
いての、
極
(
きわ
)
めて不きんしんな事。紋服の初老の大男は、文士。
グッド・バイ
(新字新仮名)
/
太宰治
(著)
孫左衛門殿
逝去
(
せいきょ
)
の後は、われその道を好むと
雖
(
いえど
)
も指南を乞うべき方便を知らず、なおまた身辺に世俗の雑用ようやく繁く、心ならずも次第にこの道より遠ざかり、父祖伝来の茶道具をも
不審庵
(新字新仮名)
/
太宰治
(著)
全世界に誇るべき東洋の文豪、魯迅先生の
逝去
(
せいきょ
)
せられたのは、昭和十一年の秋であるが、それに先立つこと約十年、先生四十六歳の昭和元年に、「藤野先生」という小品文を発表せられた。
惜別
(新字新仮名)
/
太宰治
(著)
“逝去”の意味
《名詞》
逝 去(せいきょ)
人の死を敬って言う語。
(出典:Wiktionary)
逝
常用漢字
中学
部首:⾡
10画
去
常用漢字
小3
部首:⼛
5画
“逝去”で始まる語句
逝去遊