節句せっく)” の例文
どこでも御遠忌ごおんきブームである。お節句せっくのノボリみたいな物が立っている。寺僧の案内でさっそく宝物の“六波羅過去帳”だけを見せてもらう。
随筆 私本太平記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この水にえていて端午たんご節句せっくに用うるショウブは、昔はこれをアヤメといった。そして根が長いので、これをるのを「アヤメ引く」といった。
植物知識 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
何でエ! ひな節句せっくの内裏様や五人囃にんばやしじゃアあるめエし、並んでじっとしていねえで、飛び込んで来たらどうだ。ヤイ、てめえ、眼の色が変っているぞ。
魔像:新版大岡政談 (新字新仮名) / 林不忘(著)
海嘯の起ったのは、陰暦の五月五日のであった。まだ陰暦で年中行事をやっている僻遠へきえんの土地では、その日は朝から仕事を休んで端午たんご節句せっくをやっていた。
月光の下 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
「馬鹿だなア。——その菱餅に大事な鍵が隠してあったんだ。——菱餅に隠した鍵は、節句せっく過ぎには見付けられる。——その時、お前ならその鍵をどこへ隠す?」
粽は五月の節句せっくこしらえるもの。その粽を作るために笹を結んでおる時、額髪即ち前髪が前へ垂れ下った。
俳句はかく解しかく味う (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
同じ階級内では、節句せっく七夕たなばたの団子などはもちろん、きまりきったお正月のもちまでもやり取りした。
鐘馗しょうきという悪魔降伏あくまごうふくの神力ある英雄の像をまつる、桃太郎という冒険者ぼうけんしゃの像と、金太郎という動物と同棲どうせいしていた自然児の裸像らぞうもまつる、このまつりを五月の節句せっくと称するんだ
少年連盟 (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
以前はたいてい皆節供せっくと書いており、節句せっくと書く者はそれからだんだん多くなって来た。
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
そのとき以来いらい老人ろうじんにはわなかつたということもいつたはずです。ところが金魚きんぎょがあのつちにいけたはちなかれられたのは五がつ、お節句せっくあさだということがわかつたんでしよう。
金魚は死んでいた (新字新仮名) / 大下宇陀児(著)
乞食こじきも色々のが来る。春秋しゅんじゅうの彼岸、三五月の節句せっく、盆なンどには、服装なりも小ざっぱりした女等が子供をおぶって、幾組も隊をなして陽気にやって来る。何処どこから来るのかと聞いたら、新宿しんじゅくからと云うた。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
「いやいや、そうでない。この天下大乱の折に、悠々と、節句せっく遊びの豪奢ごうしゃなご酒宴ぶりなどは。……柳営ですら、ことしはお取止めになった」
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
警部けいぶはなしたのは、金魚屋きんぎょや笹山大作ささやまだいさく申立もうしたてについてである。途中とちゅうまで平松刑事ひらまつけいじはだまつていた。そして、ランチュウが老人ろうじんうちとどけられたのは、お節句せっくあさだとわかつたとたんに
金魚は死んでいた (新字新仮名) / 大下宇陀児(著)
しかもいつかまた、村がち、町につづき、ひな節句せっくには、草餅をつき、秋の月見には、新酒で蕎麦そばを喰べたという。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
がつは、お節句せっく子供こどもでしよう。
金魚は死んでいた (新字新仮名) / 大下宇陀児(著)
折ふし上巳じょうし節句せっくとて、どこのむすめも女房たちも、桃の昼に化粧けわいをきそい、家の内には、宵にともひなまつりの灯や、盃事さかずきごとの調べなどして、同じあめしたながら
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
九月九日は重陽ちょうよう節句せっくである。この誓いの式は「菊花の会」につづき、山も風流な宴にいろどられた。月明の下、馬麟ばりんしょうを吹き、楽和がくわはうたい、また燕青えんせいことを奏でた。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この日、五月五日は男の節句せっくであった。武家ではとくに、端午たんごノ節句は、おごそかにやる。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いつか夏も近づいて、五月の声を聞くと、その日は、端午たんご節句せっくだった。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
『ちまきは、どうやの、きょうは端午たんご、五月のお節句せっくじゃがの』
ちょうど、今日は又、節句せっくでもあった。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「——男の節句せっく
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)