秀吉ひでよし)” の例文
朝廷に最も勢力のあった神道主義者と仏僧とのヤソ教に対するあらゆる反対讒訴ざんそ姑息こそくな陰謀は秀吉ひでよし時代からの古いことであったが
うまくやったのは猿面さるめん秀吉ひでよし、山崎の一戦から柴田しばた佐々さっさ滝川たきがわも眼中になく、メキメキ羽振はぶりをあげたが、ずるいやつは徳川家康とくがわいえやすだ。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
秀吉ひでよしこころざしおほいなるも、一四七はじめより天地あめつちに満つるにもあらず。一四八柴田と丹羽にはが富貴をうらやみて、羽柴と云ふうぢを設けしにてしるべし。
かれはいろいろな冒険談を読んだり、英雄の歴史を読んだりした、そうしてロビンソンやクライブやナポレオンや秀吉ひでよしは自分ににていると思った。
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
豊臣とよとみ秀吉ひでよしや〔徳川とくがわ家康いえやすの如きはその人格の果して如何いかなる人で在ったかは、今日未だ断定することは出来ない。
青年の新活動方面 (新字新仮名) / 大隈重信(著)
秀吉ひでよしがキリシタン追放令を発布してから六年後の文禄二年(一五九三)に、当時五十二歳であった家康は、藤原惺窩ふじわらせいかを呼んで『貞観政要じょうがんせいよう』の講義をきいた。
十年に信長が明智あけち日向守光秀ひうがのかみみつひでに殺された。孝高父子は此時から木下秀吉ひでよしの下に附いて働き、十五年には孝高は豐前國ぶぜんのくに六郡の主にせられた。此時利安は領地を分けて貰つた。
栗山大膳 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
まだ織田信長が尾張おわりにいたころから、秀吉ひでよし伯母聟おばむこになる杉原七郎左衛門すぎはらしちろうざえもんという人が、清洲きよすに住んで連尺商れんじゃくあきないをしていたという話があり、また「茶壺ちゃつぼ」という能狂言のうきょうげんでは
母の手毬歌 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
釈迦が女の右の脇腹わきばらから生れたの、聖霊に感じて基督キリストを生んだの、日をんで秀吉ひでよしを生んだのと申すのは、女はけがらわしい物だと思う考えが頭にあって書かれた男の記録でしょうが
産屋物語 (新字新仮名) / 与謝野晶子(著)
かちつたる秀吉ひでよし一騎驅いつきがけにうませると、こしよりさいいだし、さらりとつて、れは筑前守ちくぜんのかみぞや、又左またざ又左またざ鐵砲てつぱうつなと、大手おほて城門じやうもんひらかせた、大閤たいかふ大得意だいとくい場所ばしよだが
麻を刈る (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
秀吉ひでよし、ナポレオン、ばんずいん長べえ、とうごう大将たいしょう猿飛佐助さるとびさすけ、西ごうたかもりであります。それでお父さんは西ごうたかもりをもらってきました。西ごうたかもりはぼくが大すきです。
決闘 (新字新仮名) / 新美南吉(著)
秀吉ひでよしとか、ナポレオンとかそのほかの天才に感心するのとは異うので、この種の人物は千百歳に一人も出るか出ないかであるが、桂正作のごときは平凡なる社会がつねに産出しうる人物である
非凡なる凡人 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
秀吉ひでよしは、もう白骨のひとだが、逆境の若い者が、秀吉の幼少や少年のときを胸に呼び起せば、逆境何ものだという気をふるい出されよう。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「おれは秀吉ひでよしだからお前は加藤か小西になれよ」
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
「さきほど、軍師ぐんし八風斎はっぷうさいどのが、列席のおりには、秀吉ひでよし退治たいじのご出陣は、来春の雪解ゆきどけと、同時に遊ばすことに決したではござりませぬか」
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「それはようおいでなされました。さだめし、昌仙さまのお手紙で、多くの軍兵ぐんぴょう秀吉ひでよしさまからおかしくださることになるのでございましょうね」
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
藤吉郎秀吉ひでよしは、北近江きたおうみ小谷おだにの城から一小隊の部下と、小荷駄こにだすこしをひきいて、きょう岐阜に着いた。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
秀吉ひでよしの家族やら家中の人たちを見覚えておくのも無益でなかろう。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
武蔵の生れたつい二年前は、秀吉ひでよしの中国攻略が行われた年だった。
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
秀吉ひでよしおもむいている中国陣。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
秀吉ひでよし
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)