“ひでよし”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
秀吉85.0%
秀義10.0%
秀能5.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
うまくやったのは猿面さるめん秀吉ひでよし、山崎の一戦から柴田しばた佐々さっさ滝川たきがわも眼中になく、メキメキ羽振はぶりをあげたが、ずるいやつは徳川家康とくがわいえやすだ。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
さすがは近江おうみ源三秀義ひでよしの子四郎高綱ほどあって、怒りもするが思い切ったあきらめもする。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
次いで藤原清範きよのり・藤原隆信・鴨長明・藤原秀能ひでよしを加え、源家長が開闔となった。和歌所は後、建仁三年二月に京極殿(東弘御所)に移された。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
家隆や源家長が第一それで、藤原秀能ひでよしなども出家して如願にょがんといっていた。隠岐島おきのしまで『遠島御歌合えんとうおんうたあわせ』のお企てのあったときも家隆が万事斡旋あっせんして、歌をまとめてお送りしたが、定家は加らなかった。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)