ちゅう)” の例文
信長は、茶磨山ちゃうすやまの小高い所に立ちながら、戦況を見まもっていたが、やがてうしろの旗本衆を顧みて、蒲生がもうちゅうろう氏郷うじさとを呼びたてた。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
このいさめようのよきこといにしえもさるためし多し。ふさがりたる処を知らずして、いかにちゅうをつくしていさむとも、聞き用いざれば益なし
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
「それは結構です。面従めんじゅうちゅうにあらず。もっとこっちへおよりなさい。はかりごと帷幄いあくの中にめぐらして勝ちを千里の外に決しようではありませんか」
苦心の学友 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
その夜中よなかのこと、ちゅう一一等兵とうへいをひらくと、国防婦人会こくぼうふじんかいしろふくをきたいもうとっている。おお、どうしてこんなところへきたかと、おどろいた。
赤土へくる子供たち (新字新仮名) / 小川未明(著)
其処にはお婆さんには孫、与右衛門さんには嗣子あととりであったきつい気のちゅうさん、海軍の機関兵にとられ、肺病になって死んだ忠さんも葬られて居ます。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
もう今日の洋画家中唯一の浅井ちゅう氏を除けばいずれも根性の卑劣な媢嫉ぼうしつの強い女のような奴ばかりで、浅井氏が今度洋行するとなると誰れもその後任を引受ける人がない。
根岸庵を訪う記 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
鼠をヨモノと呼んでいる土地は、こちらでも福島県の北半分、信州の南部、古くはまた京都に接した山村にも飛び飛びにあり、中にはおどけてちゅうよもんという人もあった。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
世に名工俊手しゅんしゅと呼ばるる者、多く自己にのみちゅうにしてかたくななりといえども、また、関の孫六、いささかその御他聞に洩れなかったとはいえ、かれとても一派を樹立した逸才
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
これは賢秀の心をる為に云ったのでは無く、其翌年鶴千代丸に元服をさせて、信長の弾正だんじょうちゅうの忠の字にちなみ、忠三郎秀賦ひでますと名乗らせて、真に其言葉通り婿にしたのである。
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
浅井ちゅう氏の紹介で中村不折ふせつ君が『小日本』に入社。
子規居士と余 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
ある召集令しょうしゅうれいが、ちゅう一のもとへまいりました。かれは、仕事道具しごとどうぐをなげすててすぐにちあがった。
赤土へくる子供たち (新字新仮名) / 小川未明(著)
隣の袋町に○印をして「浅井」とあるのは浅井ちゅう氏の家であろう。この袋町への入口の両脇に「ユヤ」「床屋」としてある。この界隈かいわいの右方に鳥居をかいて「三島神社」とある。
子規自筆の根岸地図 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
限りに、石川伯耆守ほうきのかみを、かえちゅう謀叛人むほんにんと見ていうぞ。——主君の信をうけて、岡崎城の城代を勤める老臣が、大坂方へ寝返り打って立ち退くのを、たれが、目に見て、見のがそうや
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
はなしかわって、こちらは、戦場せんじょうであります。てきは、ごわくわがぐん前進ぜんしんをさまたげている。ちゅう一の部隊ぶたいは、クリークをへだてて、そのてきかいあっていました。
赤土へくる子供たち (新字新仮名) / 小川未明(著)
(これを説いて、かえちゅうをなさしめ、敵を内から切り崩すにかぎる)
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その功もたちまちいて、ただ罪のみをあらだてるのは如何いかがかとおもう。——たとえば元弘げんこうの六波羅探題攻めのさい、彼のかえちゅうがなかったら、あのせつ天皇御帰還は仰げぬことであったかもしれぬ。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)