トップ
>
後宮
>
こうきゅう
ふりがな文庫
“
後宮
(
こうきゅう
)” の例文
鄴都
(
ぎょうと
)
の
後宮
(
こうきゅう
)
に一園を造らせ、多くの花木を移し植えて、
常春
(
とこはる
)
の園ができあがった。……というので曹操は、一日その花園を見に出かけた。
三国志:09 図南の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
そうした人たちは
弘徽殿
(
こきでん
)
の
女御
(
にょご
)
がだれよりも早く
後宮
(
こうきゅう
)
にはいった人であるから、その人の后に昇格されるのが当然であるとも言うのである。
源氏物語:21 乙女
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
人の徳の有無をも見きわめないで、皇位継承のことを
後宮
(
こうきゅう
)
の后に相談しておきめになったのは、父帝のあやまちであった。
雨月物語:02 現代語訳 雨月物語
(新字新仮名)
/
上田秋成
(著)
ついこの頃までの世間並、殊に婦人の方面の生活様式のごときは、よくいえば御殿風だろうが、悪くいえば
後宮
(
こうきゅう
)
式である。
木綿以前の事
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
一体妃たちは私たちよりほかに男の足ぶみの出来ない
後宮
(
こうきゅう
)
にいるのですからそんな事の出来る
訣
(
わけ
)
はないのですがね。それでも月々子を生む妃があるのだから驚きます。
青年と死
(新字新仮名)
/
芥川竜之介
(著)
▼ もっと見る
九重
(
ここのえ
)
の奥にまします帝でさえも、此れほどの人を
後宮
(
こうきゅう
)
に持ってはおられないであろう。
少将滋幹の母
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
この、后の宮の御側には、平安朝の
後宮
(
こうきゅう
)
にもおとらぬ
才媛
(
さいえん
)
が多く集められた。
明治美人伝
(新字新仮名)
/
長谷川時雨
(著)
……
江
(
え
)
の
畔
(
ほとり
)
には柳や
槐
(
えんじゅ
)
のみどりが煙るようだし、亭の
脚下
(
きゃっか
)
をのぞけば、
蓮池
(
はすいけ
)
の
蓮
(
はちす
)
の花が、さながら袖を舞わす
後宮
(
こうきゅう
)
の美人三千といった
風情
(
ふぜい
)
新・水滸伝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
どの天皇様の
御代
(
みよ
)
であったか、
女御
(
にょご
)
とか
更衣
(
こうい
)
とかいわれる
後宮
(
こうきゅう
)
がおおぜいいた中に、最上の貴族出身ではないが深い御
愛寵
(
あいちょう
)
を得ている人があった。
源氏物語:01 桐壺
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
殊に、
後宮
(
こうきゅう
)
生活の女性群のうちには、自然、それを助ける上品な
淫
(
みだ
)
らの香が濃厚であった。深窓は、その意味では、未開花の温室だった。
新書太閤記:11 第十一分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
この女が若盛りのころの
後宮
(
こうきゅう
)
の
女御
(
にょご
)
、
更衣
(
こうい
)
はどうなったかというと、みじめなふうになって生き長らえている人もあるであろうが大部分は故人である。
源氏物語:20 朝顔
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
その日の歌舞の演奏はことに
選
(
よ
)
りすぐって行なわれるという評判であったから、
後宮
(
こうきゅう
)
の人々はそれが御所でなくて陪観のできないことを残念がっていた。
源氏物語:07 紅葉賀
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
その
種子
(
たね
)
は、遠い熱帯の異国からわずかにもたらされて、
周
(
しゅう
)
の代にようやく宮廷の秘用にたしなまれ、漢帝の
代々
(
よよ
)
になっても、
後宮
(
こうきゅう
)
の茶園に少し
摘
(
つ
)
まれる物と
三国志:02 桃園の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
その娘は弟で、貧弱な源氏で、しかも年のゆかない人に
婚
(
めあわ
)
せるために取っておいたのです。またあの人も東宮の
後宮
(
こうきゅう
)
に決まっていた人ではありませんか。
源氏物語:10 榊
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
地を
卜
(
ぼく
)
して、王城をもしのぐ大築城を営み、百門の内には
金玉
(
きんぎょく
)
の殿舎楼台を建てつらね、ここに二十年の兵糧を貯え、十五から二十歳ぐらいまでの美女八百余人を選んで
後宮
(
こうきゅう
)
に入れ
三国志:03 群星の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
幾年かの後に神聖な職務を終えて
女王
(
にょおう
)
が帰京され御希望の実現されてよい時になって、弟君の陛下の
後宮
(
こうきゅう
)
へその人がはいられるということでどんな気があそばすだろう。
源氏物語:17 絵合
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
それも彼女がまだ
西華門院
(
せいかもんいん
)
(
後宇多
(
ごうだ
)
の
後宮
(
こうきゅう
)
)に仕えていた女童の頃から知っている。
私本太平記:04 帝獄帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
女房なども無数に侍していて、
派手
(
はで
)
な
後宮
(
こうきゅう
)
生活をしながらも、尚侍の人知れぬ心は源氏をばかり思っていた。源氏が忍んで手紙を送って来ることも以前どおり絶えなかった。
源氏物語:10 榊
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
よもや
後宮
(
こうきゅう
)
のおん
方
(
かた
)
まではと、さし控えておりましたが、何と、足利家の執事、
高
(
こう
)
ノ
師直
(
もろなお
)
のごときは、とうに
御簾中
(
ごれんちゅう
)
へ近づきを得て、准后のお覚えもいとめでたいそうでございまするで
私本太平記:09 建武らくがき帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
手もとに置きました娘の
後宮
(
こうきゅう
)
のはげしい競争に
敗惨
(
はいざん
)
の姿になって、疲れてしまっております方のことばかりを心配して世話をやいておりまして、こちらに御
厄介
(
やっかい
)
になります以上は
源氏物語:21 乙女
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
民間の者は、彼らを
宦官
(
かんがん
)
と称した。君側の権をにぎり
後宮
(
こうきゅう
)
にも勢力があった。
三国志:02 桃園の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
御所の日常が——
禁裡
(
きんり
)
の
後宮
(
こうきゅう
)
生活というものが——まったく儀式化され、
粉飾化
(
ふんしょくか
)
され、そこに生きるものは、ただ、美しくて作法のよい人形のようでしかなかったので、二人は、野の土へ
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
そのころ
後宮
(
こうきゅう
)
で
藤壺
(
ふじつぼ
)
と言われていたのは亡き左大臣の
女
(
むすめ
)
の
女御
(
にょご
)
であった。
源氏物語:51 宿り木
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
太宰帥
(
だざいのそつ
)
親王の夫人や頭中将が愛しない四の君などは美人だと聞いたが、かえってそれであったらおもしろい恋を経験することになるのだろうが、六の君は東宮の
後宮
(
こうきゅう
)
へ入れるはずだとか聞いていた
源氏物語:08 花宴
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
「会うがよい、母公の
後宮
(
こうきゅう
)
へ行って」
三国志:09 図南の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
斎宮
(
さいぐう
)
の
女御
(
にょご
)
は予想されたように源氏の後援があるために
後宮
(
こうきゅう
)
のすばらしい地位を得ていた。すべての点に源氏の理想にする
貴女
(
きじょ
)
らしさの備わった人であったから、源氏はたいせつにかしずいていた。
源氏物語:19 薄雲
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
後宮
(
こうきゅう
)
の
佳麗
(
かれい
)
、三千人
新・平家物語:02 ちげぐさの巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
移された人の恨みはどの
後宮
(
こうきゅう
)
よりもまた深くなった。
源氏物語:01 桐壺
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
“後宮”の解説
後宮(こうきゅう)は、皇帝や王などの后妃や、その嫡出子が住まう場所。日本では、京都御所、元離宮二条城(白書院)が現存し、平安京内裏の七殿五舎、江戸城大奥が該当する。
(出典:Wikipedia)
後
常用漢字
小2
部首:⼻
9画
宮
常用漢字
小3
部首:⼧
10画
“後”で始まる語句
後
後生
後退
後方
後悔
後姿
後家
後手
後日
後世