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かくじん
塾は
家族的の
組織であるから
各人共同の
物である、
塾生は
此處を
自分の
家と
心得て
何事も
自分に
責任を
持つて
遣らねばなりません。
『いや
私は
哲学者でも
何でも
無い。が、これを
主張するのは、
大に
各人の
義務だろうと
思うのです、これは
道理のあることで。』
どんな
書物でもといふ
事は、
甚だボンヤリしてゐるやうであるが、
實際、一
體書物なり、
書物の
選擇といふものは、
各人の
自由に
任せる
外はない。
M
氏夫婦がやつて
来て、
型どほり
各人に
紹介されたが
彼も
御多分に
洩れず
唖であつた。
いや
私は
哲學者でも
何でも
無い。が、
之を
主張するのは、
大に
各人の
義務だらうと
思ふのです、
是は
道理の
有る
事で。
而して
死が
各人の
正當な
終であるとするなれば、
何の
爲に
人々の
死の
邪魔をするのか。
假にある
商人とか、ある
官吏とかゞ、五
年十
年餘計に
生延びたとして
見た
所で、
其れが
何になるか。
そうして
死が
各人の
正当な
終であるとするなれば、
何の
為に
人々の
死の
邪魔をするのか。
仮にある
商人とか、ある
官吏とかが、五
年十
年余計に
生延びたとして
見た
所で、それが
何になるか。