不破ふわ)” の例文
道は、不破ふわさくから北国街道をさしている方向だが、その本道はいま、足利高氏の主従一列のものが、不破から伊吹の城へ向っている。
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と言っているのは、ほかならぬ元の不破ふわの関の関守氏、今やお銀様の胆吹王国の総理です。それを相手に受けこたえて言う一人の浪人者
大菩薩峠:38 農奴の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
意表にでて後ろの源十郎へ一なぎくれたかと思うと、このときはもう慕いよる半月形の散刀に対して、無念無想むねんむそう、ふたたび静にした不破ふわの中青眼。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
不破ふわせき鳴海なるみ汐干潟しおひがたと次第に東へ下るにつれて、思いは果てしなく都の空へととぶのであった。
雀部淡路ささべあわじ白江備後しらえびんご熊谷大膳くまがえだいぜん粟野杢あわのもく日比野下野ひびのしもつけ山口少雲やまぐちしょううん丸毛不心まるもふしん隆西入道りゅうさいにゅうどう山本主殿やまもととのも、山田三十郎、不破ふわ万作の面々めんめんで、かくいうそれがしは紹巴法橋じょうはほっきょうである。
打ち大方出来たらしいうわさの土地に立ったを小春お夏が早々と聞き込み不断は若女形わかおんながたで行く不破ふわ名古屋も這般このはんのことたる国家問題に属すと異議なく連合策が行われ党派の色分けを
かくれんぼ (新字新仮名) / 斎藤緑雨(著)
これやこの、知るも知らぬも逢坂の、行きかう人は近江路おうみじや、夜をうねの野に啼くたずも、子を思うかと哀なり。番場、醒が井、柏原、不破ふわ関屋せきやは荒れはてて、ただ漏るものは秋の月。
ドナウ源流行 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
そして附近の古戦場や不破ふわ関趾せきあとなどを得意になって案内するのであったが、最初に来た時は夏の盛りで、ほこりっぽい暑い田舎みちをボロボロの自動車で彼方此方引き廻されてひどく草臥くたびれたことがあり
細雪:03 下巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
秋風や藪も畑も不破ふわの関 芭蕉
俳句はかく解しかく味う (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
伝馬てんまで旅をするなんて洒落しゃれたことは、これが初めてでしょう。まして行先は、名にし負う美濃の国、不破ふわこおり、関ヶ原——
大菩薩峠:33 不破の関の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
古い垂井たるい宿しゅくから不破ふわあたりへかかると、車の通行数はグンと少なくなってくるが、そのかわりに今度はひどい悪道路がえんえんと続き出す。
随筆 私本太平記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
血なんか流れてもいないどころか、この下々段のかまえたるや柳生流でもっとも恐ろしいとなっている不破ふわ関守せきもりという刀法……不破ふわ、他流にはちょっと破れないんです。
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
「王国なんて、ずいぶん僭上せんじょうな呼び方かも知れませんが、不破ふわの関守さんが、冗談におつけになったんですから、お気になさらないでお聞き下さい」
大菩薩峠:37 恐山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
垂井たるいから不破ふわの山間の通路をやくして、秀吉の精兵が長浜を出て、昨夜以来、勝家ござんなれと、待ちかまえている)
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
弁解いいわけのようにうめいた伊賀のあばれン坊、不破ふわ関守せきもりの構えから、いきなり、身を躍らせると見せておいて……とりまく剣陣のさわぐすきに、近くの一人へ、横薙よこなぎの一刀をくれた。
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
不破ふわの関までして一段の風流を試みようと出かけた二人の者であるが、その行先を見ると、不破の古関ではない、かえってその小関の方へ向って
大菩薩峠:33 不破の関の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
不破ふわ彦三勝光に金森五郎八長近のふたりが随行ずいこうした。こう二者は共に柴田の直臣だ。副使の格であるが、利家にたいする目付めつけたることはいうまでもない。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
柳生流でいう、不破ふわ関守せきもり……。
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
また、林谷山には、不破ふわ勝光、中谷山には、原房親ふさちかの部隊。——これがまず第一線を布陣しているもようだった。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
青嵐居士せいらんこじ不破ふわの関守氏とが多景たけの島を訪れた翌々夜のことで、その夜は月が湖上に晴れておりました。
大菩薩峠:38 農奴の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
そのうちに、急を知った尾山城では、ただちに不破ふわ彦三、片山内膳ないぜんなどの騎兵隊七十名を、応援に急がせた。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
藤原の伊太夫と、女興行師お角は、旅中の旅で、近江の国の大津から竹生島へもうでて立帰り、逢坂山の大谷風呂で、お銀様及び不破ふわの関守氏と会見することになっている。
北陸経営の重鎮じゅうちんは、ここに定められた。そのほかの布置を見ると、金森かなもり不破ふわ佐々さっさなどの諸将は各郡を配分し、前田又左衛門利家としいえにも、二郡を分け与えた。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
あの時に不破ふわの関の関守氏の紹介によって、お銀様が西美濃の地に、かなり広大な地所を購入し、岡崎久次郎の助けを求めず、西田天香の指導を仰がずに、ここへお銀様独流の我儘わがままな、自由な
大菩薩峠:35 胆吹の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
それも不破ふわから二里、垂井たるいから一里余りでしかない。すると、伊吹の曳く山すそが西南へながれてゆく半山地にって、人の住むらしい屋根が点々と望まれてくる。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いつ、どうして木曾を通ったか、不破ふわ逢坂おうさかの関を越えたのはいつごろであったか、そんなことは目にも留まらないうちに、早や二人は京都の真中の六角堂あたりへ身ぶるいして到着しました。
大菩薩峠:17 黒業白業の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
『は、あれは先頃、お国表の方から江戸詰に転役して参った——不破ふわ数右衛門でございます』
濞かみ浪人 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
部将としては、不破ふわ彦三、村井長頼ながより魚住隼人うおずみはやとなど。そのほか七百余人の士卒が従っていた。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
冬の不破ふわ越えは、伊吹を左に、名だたる難行だった。関ヶ原あたりの風雪はわけてひどい。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
雨の日が多く関ヶ原あたりの河川は氾濫はんらんし、旅程は、おくれがちだった。ようやく、不破ふわの関へかかって、湖畔をたどっていた日である。彼の一行を、早馬が追いかけて来た。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
不破ふわせきを通るならとにかく、この雪では美濃へ山越えなど思いもよらぬ事だという。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
不破ふわさくは今暁から閉じ申した。このほうは近江の守護、鎌倉殿の代官だ。足利勢を通せとのかけあいならば、ごめんこうむる。ただし弓矢にかけても通るとならば、話はべつだが
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「すこしばかり所縁の者がおりますので、不破ふわ長亭軒ちょうていけんのお城に身をよせております」
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
さて、母子おやこの旅はつつがなく、不破ふわをこえて、春の湖を、やがて駕籠かごのまえに迎えた。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
行くての美濃路は——不破ふわ、関ヶ原、垂井、青野原——すべて敵勢で充満していた。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
不破ふわせきは、関所がなくても、地形そのものが、すでに天然の関門をなしている。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
『若い手輩てあいの——例えば不破ふわ数右衛門、武林唯七などの躍起組やっきぐみが——近頃、大石に対して疎遠そえんになりだしたのは、あの普請場を見てからだ、ほかにも、大石の肚を、疑っている者が多い』
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
で——藤吉郎は、遠く道を迂回して、養老郡の山づたいに、不破ふわへはいった。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
丹羽五郎左衛門、山崎源太左衛門、不破ふわ彦三、菅屋すがや九右衛門などがある。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
不破ふわ殿はおらるるか。平四郎殿は——」
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
で、わざわざ不破ふわより横道して来たわけで
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
不破ふわも行け』
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
不破ふわやぶり
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)