黒漆こくしつ)” の例文
ギラリと輝く明眸、茶筌ちゃせんい上げた逞しい赭顔しゃがんが現われる。左ので、黒漆こくしつの髯を軽く抑えて、ズイと一足前へ出た——
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
風の音、雨の音、川鳴の音、樹木の音、ただもう天地はザーッと、黒漆こくしつのように黒い闇の中に音を立てているばかりだ。晩成先生は泣きたくなった。
観画談 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
黒漆こくしつ崑崙夜裡こんろんやりに走るということの如く、宇治山田の米友が外へ飛び出すと、外の闇が早くもこの小男を呑んで、行方のほどは全くわからなくなりました。
大菩薩峠:36 新月の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
床も、承塵なげしも、柱はもとより、たたずめるものの踏むところは、黒漆こくしつの落ちた黄金きんである。黄金きんげた黒漆とは思われないで、しかものけばけばしい感じが起らぬ。
七宝の柱 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
さうして調度掛を呼寄せて、持たせて来た壺胡籙つぼやなぐひを背に負ふと、やはり、その手から、黒漆こくしつ真弓まゆみをうけ取つて、それを鞍上に横へながら、先に立つて、馬を進めた。
芋粥 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
やや額ぎわを狭くするまでに厚くえそろった黒漆こくしつの髪とはやみの中に溶けこむようにぼかされて、前からのみ来る光線のために鼻筋は、ギリシャ人のそれに見るような
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
われわれが今度乗せられた新しい二艘の船も、むかしの雛型に寸分たがわずに造らせたものだそうで、ただ出来しゅったいを急いだ為に船べりに黒漆こくしつを施すの暇がなかったと云う。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
これらの相好が黒漆こくしつの地に浮かんだほのかな金色に輝いているところを見ると、われわれは否応なしに感じさせられる、確かにこれは観音の顔であって、人の顔ではない。
古寺巡礼 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
階段を上りきった正面には、廊下を置いて、岩乗な防塞を施した一つのへやがあった。鉄柵扉の後方に数層の石段があって、その奥には、金庫扉きんことらしい黒漆こくしつがキラキラ光っている。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
何かの黒漆こくしつな虫、とくに何ものでない異常の光、その冷たそうに素早く輝くものが、いつもかれに一滴の得体の知れないものを注いでいた。それがかれにとって理由なく嬉しかったのである。
幻影の都市 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
生きたるは黒漆こくしつの瞳のみ。
邪宗門 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
憮然ぶぜんとして、張飛は、黒漆こくしつの髯を秋かぜに吹かせていたが、何か、思い出したように、突然、いている剣帯を解いて
三国志:02 桃園の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
瞬く間に立蔽たちおおう、黒漆こくしつ屏風びょうぶ一万枚、電光いなびかりを開いて、風に流す竜巻たつまき馳掛はせかけた、その余波なごりが、松並木へも、大粒な雨ともろともに、ばらばらと、ふな沙魚はぜなどを降らせました。
河伯令嬢 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
切り下げにした厚い黒漆こくしつかみの毛の下にのぞき出した耳たぶは霜焼けでもしたように赤くなって、それを見ただけでも、貞世は何か興奮して向こうを向きながら泣いているに違いなく思われた。
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
それはまぎれもない黒漆こくしつの長髯があるので、その日の試合を見た者なら一目で知れる鐘巻自斎に違いなかった。
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
雪なすうすもの、水色の地にくれないほのおを染めたる襲衣したがさね黒漆こくしつ銀泥ぎんでいうろこの帯、下締したじめなし、もすそをすらりと、黒髪長く、丈に余る。しろがねの靴をはき、帯腰に玉のごとく光輝く鉄杖てつじょうをはさみ持てり。
夜叉ヶ池 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
目のふちに憂いの雲をかけたような薄紫のかさかすんで見えるだけにそっといた白粉おしろい、きわ立って赤くいろどられた口びる、黒いほのおを上げて燃えるようなひとみ、後ろにさばいて束ねられた黒漆こくしつの髪
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
と、待つ間もなく、人魂のような灯りを振り照らしてタッタと急いで来た黒漆こくしつ塗駕ぬりかご、前後に四、五名徒士かちがついて、一散に羅漢堂の前を走り抜けようとした。
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
青粘土あおねんどみたいに沈んでいるが、まなこは鯉の金瞳きんどうのごとく、黒漆こくしつのアゴひげをそよがせ、身のたけすぐれ、よく強弓をひき、つねに持つ緋房ひぶさかざりの一そうも伊達ではないと、城内はおろか
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
黒漆こくしつひげの中で、牡丹ぼたんのような口を開いて笑った。
三国志:02 桃園の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)