鍋島なべしま)” の例文
これは一方は直参じきさんのお旗下で、とにかく、お上品で三指式みつゆびしきに行こうというところへ、一方は西国大名の中でも荒い評判の鍋島なべしま藩中のお国侍
徳大寺とくだいじ家の密使をはじめ、加担の西国大名、筑後ちくご柳川やながわ大洲おおず加藤かとう金森かなもり鍋島なべしま、そのほかの藩から、それぞれの使者が徳島城に集まって
鳴門秘帖:05 剣山の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
鍋島なべしまの藍絵等は軟弱であって支那の染附そめつけに向っては太刀打ちができない。だがこれらの貧しい藍絵ばかりは負けずにすむ。
工芸の道 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
大入道おほにふだう、一つ小僧こぞうなどはそれである。しか復仇ふくきうはう鍋島なべしま猫騷動ねこさうどうのやうに隨分ずゐぶんしつこい。
妖怪研究 (旧字旧仮名) / 伊東忠太(著)
ところがチャント門限があって出ることが出来ぬから、当直の門番を脅迫して無理にけさして、鍋島なべしまの浜と云う納涼すずみ葭簀張よしずばりで、不味まずいけれども芋蛸汁いもだこじるか何かで安い酒をのん
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
もう一人は鍋島なべしま家の重臣の、諫早益千代いさはやますちよその人であり、もう一人は松平三河守の智謀、永見文庫介ながみぶんこのすけその人であり、もう一人は水戸家の若年寄、渡辺半蔵その人なのであった。
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
外賓接待にはらされない場処ところとなって、ドイツ皇孫ヘンリー親王の来朝の時から、我国の宮殿下方みやでんかがたもおそろいにて成らせられ、その時の接待係は、鍋島なべしま伊達だての大華族であり
朱絃舎浜子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
イヤ出たぞ出たぞ、束髪も出た島田も出た、銀杏返いちょうがえしも出た丸髷まるまげも出た、蝶々ちょうちょう髷も出たおケシも出た。○○なになに会幹事、実は古猫の怪という、鍋島なべしま騒動をしょうで見るような「マダム」なにがしも出た。
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
だまつてゐな、おら馬鹿ばかすきだ……其儘そのまゝかへつて綿服めんぷくけ、先方むかうくと寄附よりつきへとほすか、それとも広間ひろまとほすか知らんが、鍋島なべしま唐物からものなにいてるだらう、かこひへとほる、草履ざうりが出てやう
にゆう (新字旧仮名) / 三遊亭円朝(著)
フィスセン、ロギオイス(鍋島なべしま信濃、肥前名護屋なごや)三十六万石とあり
あるいは駕籠かごを用い、中井、伊藤らの官吏に伴われながら、新政府の大官貴顕と聞こえた三条、岩倉、鍋島なべしま、毛利、東久世の諸邸を回礼したと伝えらるることすら、大変な評判になっているころだ。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
美成、字は久卿きゅうけい北峰ほくほう好問堂こうもんどう等の号がある。通称は新兵衛しんべえのち久作と改めた。下谷したや二長町にちょうまちに薬店を開いていて、屋号を長崎屋といった。晩年には飯田町いいだまち鍋島なべしまというものの邸内にいたそうである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
「佐賀の鍋島なべしま、熊本の細川、濃州八幡のうしゅうやわたの金森家……」と言いかけた時
鳴門秘帖:01 上方の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「ニャアン、鍋島なべしまの猫だよ、化猫ばけねこだよ。ゴロニャーン。」