赤壁せきへき)” の例文
赤壁せきへきの『清風せいふうおもむろに吹来つて水波すいはおこらず』という一節が書いてございましたから、二人で声を出して読んで居りますと
婦人と文学 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
後なお、莫大な国費と軍馬をして、曹操を赤壁せきへきに破ったればこそ、皇叔にも、ふたたび時に遭うことができたというもの。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
是水路このすゐろ日本道五百里ばかりなり。さてくだん標準みちしるべ洪水こうずゐにてや水に入りけん、○洞庭とうてい赤壁せきへき潯陽じんやう楊子やうしの海の如き四大江だいこう蕩漾周流たうやうしうりうして朽沈くちしづまず。
へうになひて、赤壁せきへきし、松島に吟ずるは、畢竟ひつきやうするにいまだ美人を得ざるものか、あるひは恋に失望したるもののばんむを得ずしてなす、負惜まけをしみ好事かうずに過ぎず。
醜婦を呵す (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
赤壁せきへきというのにありますね、びょうたる蒼海の一粟いちぞく、わが生の須臾しゅゆなるを悲しみ……という気持が、どんな人だって海を見た時に起さずにはいられないでしょう。
大菩薩峠:29 年魚市の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
苗木の城址じょうしはこれに対して高く頂上の岩層にうらびた疎林がある。日本唯一の赤壁せきへきの城のあとがあれだという。この淵のぬしである蟠竜ばんりゅう白堊はくあを嫌ったという伝説がある。
木曾川 (新字新仮名) / 北原白秋(著)
洞庭湖どうていこ杜詩とし琵琶行びわこうの文句や赤壁せきへきの一節など、長いこと想い出すおりもなかった耳ざわりのいい漢文のことばがおのずから朗々ろうろうたるひびきをもっくちびるにのぼって来る。
蘆刈 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
ほほほほ、じゃあ赤壁せきへきたたかいは何年でございますの。
新学期行進曲 (新字新仮名) / 海野十三(著)
是水路このすゐろ日本道五百里ばかりなり。さてくだん標準みちしるべ洪水こうずゐにてや水に入りけん、○洞庭とうてい赤壁せきへき潯陽じんやう楊子やうしの海の如き四大江だいこう蕩漾周流たうやうしうりうして朽沈くちしづまず。
赤壁せきへきの大戦の後、わが呉侯から荊州の地を接収に参ったとき、劉皇叔には、琦君の世にあるかぎりは荊州は故劉表の遺子のものであると仰せられた。
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この水はすぐそこの銀閣寺の苑内から流れてくる清冽せいれつなので、洞庭どうていのそれよりも清く、赤壁せきへきの月のそれよりも冷たい。
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
蛾眉山のふもとの河々皆此大河に入る。此大河瀘州ろじうを流れ三けふのふもとをぎ、江漢こうかんいた荊州けいじうに入り、○洞庭湖とうていこ赤壁せきへき潯陽江じんやうこう楊子江やうしこうの四大こうつうじて江南こうなん流湎ながれめぐりて東海に入る。
青史せいしにのこる赤壁せきへきの会戦、長く世にうたわれた三こう大殲滅だいせんめつとは、この夜、曹操が味わった大苦杯そのものをいう。
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
蛾眉山のふもとの河々皆此大河に入る。此大河瀘州ろじうを流れ三けふのふもとをぎ、江漢こうかんいた荊州けいじうに入り、○洞庭湖とうていこ赤壁せきへき潯陽江じんやうこう楊子江やうしこうの四大こうつうじて江南こうなん流湎ながれめぐりて東海に入る。
烏林うりん赤壁せきへきの両岸とも、岩も焼け、林も焼け、陣所陣所の建物から、糧倉、柵門、馬小屋にいたるまで、眼に映るかぎりは焔々たる火の輪をつないでいた。
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
曹操が自負満々だった魏の大艦船団が、烏林うりん赤壁せきへきにやぶれて北に帰り、次いでまた、玄徳が荊州を占領したと聞いたとき、彼は何か書き物をしていたが、愕然がくぜん、耳を疑って
三国志:12 篇外余録 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
遠州風の石組に、白砂を掃きならして、赤壁せきへきの景でも模した庭造り師のこころであろうか、北苑の画にでもありそうなそこの庭を抱いて、大きな二間の銀ぶすまが灯に濡れている。
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
赤壁せきへきの江上戦に、精猛せいもうひきいる曹操そうそうが、完敗を喫したのも、当初、彼の軍隊の兵は多く北国産の山沢さんたくに飛躍したものであり、それに反して、江南の国の兵士は、大江の水に馴れ
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その曹操と呉の孫権とは、赤壁せきへき以来の宿敵である。
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)