衣鉢いはつ)” の例文
芭蕉の衣鉢いはつは詩的には丈艸などにも伝はつてゐる。それから、——この世紀の詩人たちにも或は伝はつてゐるかも知れない。
続芭蕉雑記 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
フランクの衣鉢いはつを継いた人だが、傾向は独自のものがあった。交響曲「フランスの山の主題による」がレコードされている。
楽聖物語 (新字新仮名) / 野村胡堂野村あらえびす(著)
そもそも一刀流の本源をたずぬれば、その開祖は伊豆の人、伊藤一刀斎景久かげひさで、その衣鉢いはつを受けたのが神子上典膳忠明みこがみてんぜんただあき(小野治郎左衛門)です。
穏田の飯野吉三郎先生とかの衣鉢いはつをうけたような話から喋々と説き初め「ひとつ、読んでください」と、世直し運動宣言のガリ版刷りをくれた。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかし七十歳を越えていたので、健康を気づかっていましたが戦争中亡くなられた由を知って、実に惜しい気がしました。誰が衣鉢いはつぐのでしょうか。
沖縄の思い出 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
寒月の放胆無礙むげな画風は先人椿岳の衣鉢いはつけたので、寒月の画を鑑賞するものは更に椿岳にさかのぼるべきである。
本店の方は前述のごとく昔日せきじつおもかげはないが、支店特異の腕前は現在新橋あたりの寿司屋としては、まず第一に指を屈すべきで、本店の衣鉢いはつは継がれたわけである。
握り寿司の名人 (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
戴氏独立どくりゅうの表石の事ははじめて聞いた。池田氏の上のみではない。自分も黄檗おうばく衣鉢いはつを伝えた身であって見れば、独立の遺蹟の存滅を意に介せずにはいられない。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
当時は歌道などにも口伝くでん、秘伝などというものがあって、それは師の衣鉢いはつをつぐ者か、よほど秀抜なものでないと与えられなかった、加代のめざましい進歩は
日本婦道記:梅咲きぬ (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
そのために翁の歿後、翁の遺風を継ぎ、翁の衣鉢いはつを伝えるに足る中心人物が、今の福岡には一人も居ない。
梅津只円翁伝 (新字新仮名) / 夢野久作杉山萠円(著)
「えゝ。安藤先生は中学校高等学校を通じて僕を手がけていますから、いささ衣鉢いはつを伝えた積りだと言って推薦したそうですが、それが却って悪かったようです」
負けない男 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
旧暦の十一月十三日から四十八夜の間瓢箪ひょうたんをたたき空也念仏くうやねんぶつを唱えて歩くもので、極めて卑近なぎょうをして俗衆を教化しようとした空也上人の衣鉢いはつを伝えたものであります。
俳句とはどんなものか (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
衣鉢いはつを継いで勤王抑覇よくはの、運動を起こした紋也の父の山県大弐や、その同志の藤井右門の行なった業を、行き過ぎた所業だとこのようにいって、非難を加えていることに
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
ガプの司教サジテールがアンブロンの司教サローヌの兄弟であり、二人ともモンモルの衣鉢いはつを継いだからです。しかし、そういうことも結局どれだけの影響がありましょう。
この衣鉢いはつを、黒田新(帝展特選になった洋画家)がついで、時々学校をやっつけていた。
死までを語る (新字新仮名) / 直木三十五(著)
もともと養父金兵衛は木曾谷での分限者ぶげんしゃに数えられた馬籠の桝田屋惣右衛門ますだやそうえもん父子の衣鉢いはつを継いで、家では造り酒屋のほかに質屋を兼ね、馬も持ち、田も造り、山林には木の苗を植え
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
しこうしてこの山田亦介は、村田清風の甥にして、実にその衣鉢いはつを伝えたる者なり。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
蕉門せうもん龍象りゆうざうの多いことは言ふを待たない。しかし誰が最も的的てきてき芭蕉ばせを衣鉢いはつを伝へたかと言へば恐らくは内藤丈艸ないとうぢやうさうであらう。
澄江堂雑記 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
信長の衣鉢いはつは、まさしく、秀吉によって継がれたものといっていい。秀吉は故主の長を取って短を捨て、独味の行き方と、天質の大を加えて来た。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いたずらに茶道を形式に枯死さすのは、私たちのなすべきことではない。彼らの衣鉢いはつの真の継承は、その形式の反復にあるのではなく、その精神の進展にあるのである。
工芸の道 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
「君は安藤君の衣鉢いはつをついで喧嘩っ早いそうですが、この点はんなものでしょうかな?」
負けない男 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
その稽古腰の強いこともたしかに翁の衣鉢いはついでいた。(佐藤文次郎氏談)
梅津只円翁伝 (新字新仮名) / 夢野久作杉山萠円(著)
和蘭オランダ人の子としてハノーヴァーに生れ、最初はヴァイオリンを弾いていたが、後にパデレフスキーとブゾーニに師事し、わけてもブゾーニの感化を濃厚に受け、その衣鉢いはつを継ぐ人と目されている。
伏見屋の金兵衛は、この惣右衛門親子の衣鉢いはつを継いだのである。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
伝家でんか宝什ほうじゅう御旗みはた楯無たてなしの心をまもり、大祖父だいそふ信玄しんげん衣鉢いはつをつぎ、一ぺん白旗しらはた小太郎山こたろうざん孤塁こるいにたてます。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼の衣鉢いはつを伝えた乾山においてもそうである。彼の人物は彼の焼物より遥かに完備する。そこには静寂と温情との結合があった。彼は優に一禅家の位ある人であった。私は彼の人となりを慕う。
工芸の道 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
孔明の衣鉢いはつをつぐ大器としては、まず費褘であろうとは、衆目の視ていたところであったが、突然、このが知れわたったので、蜀中は非常な哀愁につつまれた。
三国志:12 篇外余録 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
学を藤原惺窩せいかの門に受け、和歌、点茶、有職故実ゆうそくこじつの類いも、充分父の衣鉢いはつを継ぎ得ていたのである。
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「わしも、もはやこの寺に、衣鉢いはつをとどめていることはできません。近く他国へ雲遊しましょう」
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その口吻くちぶりのうちには、今もって、この人のあたまには、亡父信長がものを云っていた。——その精神はなく、形だけがあった。父の衣鉢いはつはうけず、勢威だけを受ける気でいた。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
琢堂の衣鉢いはつをついで、傑出した弟子は二人あって、ひとりを別源べつげんといい、この人は丹後宮津に行って国清寺を興し、大淵は細川家の招聘しょうへいをうけて、小倉からやがて肥後に移り
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)