水茶屋みずぢゃや)” の例文
顎十郎は、依然として無言のまま、先に立って弥太堀から横丁へ折れこみ、大きな料理屋のすじむかいの水茶屋みずぢゃやの中へ入ってゆく。
しかし、いかにおとなしいと言っても、もともとが水茶屋みずぢゃやの女である以上、ひと通りのお世辞や冗談ぐらいが言えないのではない。
両国の秋 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
これは「ひやっこい/\」の水売で、処々にあった水茶屋みずぢゃやというのは別なもの、今の待合まちあいです。また貸席を兼ねたものです。
江戸か東京か (新字新仮名) / 淡島寒月(著)
福岡市外水茶屋みずぢゃやの何とかいう、気取った名前の裁縫女塾に通っていたが、その間には子供を生まなかったように見える。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
それにえあたしゃそこらにてた、れた草鞋わらじもおんなじような、水茶屋みずぢゃや茶汲ちゃくむすめ百夜ももよみちかよったとて、おまえって、昔話むかしばなしもかなうまい。
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
なるほど涼しい風は絶えず梢の間からき起って軽く人のたもとを動かすのに種彦もいつか門人らと並んで、思掛けない水茶屋みずぢゃや床几しょうぎに腰を下し草臥くたぶれあゆみを休ませた。
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
この屋根の箱棟はこむねには雁が五羽漆喰しっくい細工で塗り上げてあり、立派なものでした(雁鍋の先代は上総かずさ牛久うしくから出ていけはた紫蘇飯しそめしをはじめて仕上げたもの)。隣りに天野という大きな水茶屋みずぢゃやがある。
貝殻かいがら散りたる深川の新道しんみちに峰次郎が窓の竹格子をあいだにしてお房と相語る処(『梅見船』巻九)また柳川亭やながわていといへる水茶屋みずぢゃや店先の図(『梅見船』巻十)を挙ぐべし。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
去年きょねん梅見時分うめみじぶんから伊勢新いせしん隠居いんきょ骨折ほねおりで、させてもらった笠森稲荷かさもりいなり水茶屋みずぢゃやたちま江戸中えどじゅう評判ひょうばんとなっては、きょう大吉だいきちかえった有難ありがたさを、なみだともよろこぶよりほかになく
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
釜山ふざん日報主筆、篠崎昇之助氏、その他、水茶屋みずぢゃや券番けんばんの馬賊五人組芸者として天下に勇名を轟かしたおえん、お浜、お秋、お楽、等々その中心の正座が勿体なくも枢密院顧問
近世快人伝 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
本郷玉川の水茶屋みずぢゃやをしていた鵜飼三二うがいさんじさんなどもこの仲間で、玉川の三二さんは、きた字引といわれ、後には得能さんの顧問役のようになって、毎日友人の間を歴訪して遊んでいました。
その木陰こかげ土弓場どきゅうば水茶屋みずぢゃや小家こいえは幾軒となく低い鱗葺こけらぶきの屋根を並べているのである。
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
当時とうじ江戸えどでは一ばんだという、その笠森かさもり水茶屋みずぢゃやむすめが、どれほどすぐれた縹緻きりょうにもせよ、浪速なにわ天満天神てんまんてんじんの、はしたもと程近ほどちか薬種問屋やくしゅどんや小西こにし」のむすめまれて、なにひとつ不自由ふじゆうらず
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
◆第三参考 松村マツ子女史(福岡市外水茶屋みずぢゃや翠糸女塾すいしじょじゅく主)談
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)