かまへ)” の例文
番頭に案内されて行くと、寶屋の廣いかまへの一番奧、東向の小さい部屋をあけに染めて、娘のお島はもう冷たくなりかけて居りました。
かまへ可慎つつましう目立たぬに引易ひきかへて、木口きぐち撰択せんたくの至れるは、館の改築ありし折その旧材を拝領して用ゐたるなりとぞ。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
魚勝うをかつ肴屋さかなやまへとほして、その五六軒先けんさき露次ろじとも横丁よこちやうともかないところまがると、あたりがたかがけで、その左右さいうに四五けんおなかまへ貸家かしやならんでゐる。
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
けれどいくら考へても、庭園や附屬館のあるやしきかまへを、明瞭はつきりした圖に描くことは出來なかつた。××州・ミルコオト。私は英吉利の地圖の記憶を掻き探した。
蘭軒は阿部邸にうつるために、長屋を借ることを願つた。しかし阿部家では所謂いはゆる石取こくどりの臣を真の長屋には居かなかつた。此年に伊沢氏の移つた家も儼乎たる一かまへをなしてゐたらしい。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
其方共儀そのはうどもぎ主人申付とは云ひながら惡事あくじ荷擔かたんいたし候に依て江戸かまへ申付る
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
男童をわらべかまへ凛々しく肱立ててゐずまふ見れば張り切るごとし
黒檜 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
山の手の廣いかまへ、土藏と店の間を拔けて、母家おもやへ廻る道々、又次郎は泣き出さんばかりの樣子で、斯う囁きます。
さうしてこのかまへ設備せつびでは、かへりがけにおもつたよりたか療治代れうぢだいられるかもれないと氣遣きづかつた。
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
姿なりかまへ正しく張る弓の矢と一つなる心澄みつつ
黒檜 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
廊下へ入つて二つ三つ目、思ひの外深々としたかまへで、主人徳右衞門は、その又奧の六疊に休んでゐるのでした。
「学問の府はかうなくつてはならない。かう云ふかまへがあればこそ研究も出来る。えらいものだ」
三四郎 (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
てつおもき橋のかまへ
邪宗門 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
長者町へ入ると、向うに見える一くわく、それは俵屋の大きなかまへですが、その中に一パイのあかりが點いて多勢の人が、出たり入つたり、まさに右往左往してゐるのです。
銭形平次捕物控:311 鬼女 (旧字旧仮名) / 野村胡堂(著)
かまへはさして大きく無いが、裕福の聞え高い加納屋は、さすがに數寄をこらした建物で、木口から間取り、調度の末に到るまで、一つも非の打ちやうの無いと言つた
人に顏を見られるのをはゞかるやうに、翌る日の早朝、まだ街の往來のろくにない頃を選んで、皆川半之丞の小さい浪宅から、長崎屋の大きなかまへ、それに續く自身番や
五年前人に頼まれて、切支丹の像にまぎらはしい物を彫つたばかりに、表向き遠島になる筈のところを、お上の御慈悲で江戸おかまへになり、それつ切り行方知れずになつた方だ
表通りには、鍵屋金右衞門の宏大なかまへがあり、隣の酒屋との間に木戸があつて、木戸を押しあけて入ると、片側だけの三軒長屋。突き當りは狹い道を距てて、尾張樣の下屋敷です。
物持らしいかまへ、庭も此邊らしく相應の廣さがあり、西窓の前の老松の下などは、よく濕つて人間が近づけば、必ず足跡を遺すやうに出來てをりますが、今のところ何んの變化もありません。
大地主と言つても、しもたや暮しで、そんなに大きなかまへではありません。
其處に居たのは、女主人のみさを、——この春死んだ小倉嘉門の美しい後家でした。一度はハツと驚いて逃げ身になりましたが、次の瞬間にはかまへを直して、眞正面から嬌瞋けうしんの眼を平次に向けたのです。