榾火ほたび)” の例文
昨夜と同じく、榾火ほたびにあたりながら朝食をすます。「よしえ」は母親を急き立てて、黄八丈を出せという。昨日のことを忘れないのだ。
白峰の麓 (新字新仮名) / 大下藤次郎(著)
榾火ほたびに照らされた坊主の顔は骨と皮ばかりになった老人だった。しかし伝吉はその顔のどこかにはっきりと服部平四郎を感じた。
伝吉の敵打ち (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
しかし、この炉辺閑話の仲間のうちに一人、机竜之助の幼少時代を知っているものがあるということで、また榾火ほたびがあかく燃え出しました。
大菩薩峠:25 みちりやの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
一たび高山に登って榾火ほたびの夜の光に接すると、たちまちにして悠遠なる祖先の感覚が目ざめて、特殊の興奮に誘われずにはいなかったのである。
雪国の春 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
荷をおいて迎えに来た案内者につれられてはいったが、榾火ほたびのめらめらと燃えあがるのを見るだけで、あたりが暗い。
雪の武石峠 (新字新仮名) / 別所梅之助(著)
「これを焼いて父上に届けたいので、宇乃を貸していただきます」と帯刀は云った、「榾火ほたびで焼きあげるのは宇乃がいちばん上手ですから、お願いします」
彼の野をおもふと、土にまみれた若い男女をおもひ、また榾火ほたびの灰をうちかぶつた爺をおもひ婆をおもふ。
門から覗いてみれば、小使室らしいのなかで、榾火ほたびがあかあかと照っている。しめた、と思った。
酒徒漂泊 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
「お恥しいことだ」覚明は、憮然ぶぜんとしながら、榾火ほたびすすでまっ黒になった天井を見あげた。そして
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
誰でも上高地を訪ねた人が、もし機会があったなら、彼を訪ねて炉辺に榾火ほたびきながらこの物語を聞いて御覧なさい。相応ふさわしい山物語りにホロリとする所があるだろう。
案内人風景 (新字新仮名) / 百瀬慎太郎黒部溯郎(著)
矢張お父さんは国の方に居て欲しい。早く東京を引揚げあの年中榾火ほたびの燃える炉辺の方へ帰って行って老祖母おばあさんやお母さんや兄夫婦やそれから正直な家僕などと一緒に居て欲しい。
桜の実の熟する時 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
……そうはらえると、銅提ひさげが新たに榾火ほたびから取下ろされて、赤膚焼あかはだやきの大湯呑ゆのみにとろりとした液体が満たされたのを片手にひかえて、折からどうと杉戸をゆるがせた吹雪ふぶきの音を虚空こくうに聴き澄ましながら
雪の宿り (新字新仮名) / 神西清(著)
小さな火鉢に、榾火ほたびの燃き落しを運んで来る。「官員サンに何か出さねーとわるいぞよ——、小寒いに——、火でもくれないとわるいぞよ」
白峰の麓 (新字新仮名) / 大下藤次郎(著)
炉に燃える榾火ほたびは、炉をかこんでいる六名のおもてへ、やわらかな明滅となって揺らぎ、戸外そとの雪をしのびながら、その焔を見つめ合って、みな、黙思にふけっているのであった。
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
当時、酒の税制がどんな風になっていたか知らないが、私のとなりの家に、飲兵衛のお爺さんがいて、毎日炉傍ろばたで濁酒を、榾火ほたびで温めては飲んでいたのをいまも記憶している。
濁酒を恋う (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
しかしお民は無言のまま、すすけた榾火ほたびの光りの中にがつがつ薩摩藷を頬張つてゐた。
一塊の土 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
C—家の内儀の手紙を渡し、一泊を請い、直ぐ大囲炉裡の榾火ほたびの側に招ぜられた。
みなかみ紀行 (新字新仮名) / 若山牧水(著)
私は一日も早く父が東京を引揚げて、あの年中榾火ほたびの燃えて居る爐邊の方へ歸つて行つて、老祖母おばあさんやおつかさんや、兄夫婦や、それから太助などと一緒に居て貰ひたいと思ひました。
これが終ってから百姓弥之助は燃え残りの榾火ほたびに木炭を加えて炉を直にこたつに引き直した、そうしてやぐらの上を直ちに机にしつらえて、それから元旦試筆というものにとりかかった。
……さうはらゑると、銅提ひさげが新たに榾火ほたびから取下ろされて、赤膚焼あかはだやきの大湯呑ゆのみにとろりとした液体が満たされたのを片手にひかへて、折からどうと杉戸をゆるがせた吹雪ふぶきの音を虚空こくうに聴き澄ましながら
雪の宿り (新字旧仮名) / 神西清(著)
舌ざわり細やかな脂肪に富んで、串にさして榾火ほたびに当てれば、脂肪が灰に漏れ落ちる。
魔味洗心 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
酒がまわって来たらしく、梅軒は居坐ったまま、榾火ほたびへ向って、眠そうに首を垂れた。
宮本武蔵:04 火の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
が、彼の手は不思議にも、万力まんりきか何かにはさまれたように、一寸いっすんとは自由に動かなかった。その内にだんだん内陣ないじんの中には、榾火ほたびあかりに似た赤光しゃっこうが、どこからとも知れず流れ出した。
神神の微笑 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
一日も早く父が東京を引揚げ、あの年中榾火ほたびの燃えている炉辺の方へ帰って行って、老祖母おばあさんや、母や、兄夫婦や、それから年とった正直な家僕なぞと一緒に居て貰いたいと思った。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
係蹄で捕れた兎の肉を、串にさして榾火ほたびで焼きながら、物語をしたら楽しかろうと思った。囲炉裡いろりの火は快よく燃える。銘々めいめい長く双脚を伸して、山の話村の話、さては都の話に時の移るをも知らない。
白峰の麓 (新字新仮名) / 大下藤次郎(著)
と、榾火ほたびの色を見ながら、こう言いました。
大菩薩峠:37 恐山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
味噌田楽にすれば一入ひとしおのことである。焼き枯して煮びたしもいいが、釣場の河原に榾火ほたびを焚いて釣ったばかりの山女魚を、熊笹の串にさし、素焼を生醤油で食べれば堪らないのである。
早春の山女魚 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
落人おちゅうどや追討ちに係り合うてを見るなと云い合わせたように、二十八日の夕ともなれば、どこの宿場でも野辺の部落でも、かたく戸閉とざして、榾火ほたびの明りすらもらしている家はなかった。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼は暮れかかる岩と森とを、食い入るように見据えたまま、必死にその誘惑をふせごうとした。が、あの洞穴の榾火ほたびの思い出は、まるで眼に見えない網のように、じりじり彼の心をとらえて行った。
素戔嗚尊 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
山小屋の囲炉裏に、串に刺した鰍を立てならべ榾火ほたびで気長にあぶって、山椒さんしょう醤油で食べるのが最もおいしい。焼きからしを摺鉢ですり、粉にして味噌汁のだしにすれば、これまた素敵である。
冬の鰍 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
寒い所を歩かせて来てここで榾火ほたびにあたらせる。馳走というのはそういう趣向であったのかと光悦もうなずき、紹由や光広や沢庵も膝をくつろぎ、めいめいが炉の榾火ほたびに手をかざしていると
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして、しばらく榾火ほたびを焚いて一服すっているうちに、東が明るくなってきたところが、人夫らが掘り掛けの井戸を覗いていると、薄暗い底の方へ、なにか黒いものが動いているではないか。
老狸伝 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
何か、煮物をしていると見えて家の中は、榾火ほたびの煙がいっぱいだった。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)