東京とうけい)” の例文
わたくしたちは、もと開封かいほう東京とうけいの者でございますが、重い税にくるしめられて、商売もなりたたず、この渭州いしゅう流離さすろうてまいりました。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
東京とうけいからスイと来て上州の川俣村までくにゃア随分退屈は退屈でげすな……おッ是は大変に蚊が居ますね、そばから/\這入って来ます事
霧陰伊香保湯煙 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
わたくしはむなしくかえって、先ず郷人きょうじん宮崎幸麿みやさきさきまろさんを介して、東京とうけいの墓の事にくわしい武田信賢たけだしんけんさんに問うてもらったが、武田さんは知らなかった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
母親の手足たそくにはならずとも責めて我口だけはとおもうよしをも母に告げて相談をしていると、捨る神あればたすくる神ありで、文三だけは東京とうけいに居る叔父のもとへ引取られる事になり
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
ああ今の東京とうけい、昔の武蔵野むさしの。今はきりも立てられぬほどのにぎわしさ、昔は関も立てられぬほどの広さ。今なかちょう遊客うかれおにらみつけられるからすも昔は海辺うみばた四五町の漁師町でわずかに活計くらしを立てていた。
武蔵野 (新字新仮名) / 山田美妙(著)
いそしわのばしてると、これはすでに一ねんはんまへ東京とうけいぼう新聞しんぶんであつた。
居士は東京とうけいに生れ東京とうけいそだちたる者なり。
松の操美人の生埋:01 序 (新字新仮名) / 宇田川文海(著)
東京とうけい城の関外へ出てから二日目、小さな宿場町へ黄昏たそがれ頃つくと、とある田舎酒館いなかぢゃやの前に馬をめて、彼らを待っていた男がある。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
えゝ……貴公はいずれの者か姓名をお聞き申したい、僕は東京とうけい青山信濃殿町三十六番地谷澤成瀬と申すものじゃが、貴公の姓名をお聞き申そう
霧陰伊香保湯煙 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
この一大記録は明治八年二月に至るまで、たもつさんが蔵していた。然るに保さんは東京とうけいから浜松県に赴任するに臨んで、これを両掛りょうがけに納めて、親戚の家に託した。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
紛々たる人のうわさは滅多にあてにならざか児手柏このでがしわ上露うわつゆよりももろいものと旁付かたづけて置いて、さて正味の確実たしかなところを掻摘かいつまんでしるせば、うまれ東京とうけいで、水道の水臭い士族の一人かたわれだと履歴書を見た者のはな
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
中華の黄土大陸は大宋国だいそうこくといって、首都を河南かなん省の開封かいほう東京とうけいにさだめ、宋朝歴代の王業は、四代の仁宗じんそう皇帝につがれていた。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
伊香保饅頭はあったかいうちは旨いがひえると往生で、今坂いまさかなんざア食える訳のもんではありません……へえー藤村ので、東京とうけいから来るお菓子で、へえ
霧陰伊香保湯煙 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
しかし定府じょうふであったので、弘前には深くまじわった人が少く、また渋江氏の墓所もなければ子孫もない。今東京とうけいにいる人で、渋江氏と交ったかと思われるのは、飯田巽いいだたつみという人である。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
英国いぎりす竜動ろんどんより三時間で往復の出来る処、日本にっぽんで云えば横浜のような繁昌はんじょうな港で、東京とうけいで申せば霊岸島れいがんじま鉄砲洲てっぽうずなどの模様だと申すことで、その世界に致してお話をします。
あの論から推すと、東京とうけいや無名通信で退治ている役者買の奥さん連は、事実である限りは、どんなに身分が高くても、どんな金持を親爺おやじや亭主に持っていても、あれは皆娼妓しょうぎです。
青年 (新字新仮名) / 森鴎外(著)