“とうけい”のいろいろな漢字の書き方と例文
カタカナ:トウケイ
語句割合
東京28.1%
闘鶏21.9%
統計15.6%
東経12.5%
桃溪3.1%
刀圭3.1%
東慶3.1%
東谿3.1%
棠谿3.1%
洞渓3.1%
燈檠3.1%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
東京とうけいからスイと来て上州の川俣村までくにゃア随分退屈は退屈でげすな……おッ是は大変に蚊が居ますね、そばから/\這入って来ます事
霧陰伊香保湯煙 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
そのうえ四季の物見行楽ものみこうらくだの、闘鶏とうけいだの、け弓だのと、およそ今ほど、遊びごとやけごとのさかんなときは、かつてにもない。
統計とうけいによれば、餘震よしんのときの震動しんどうおほいさは、最初さいしよ大地震だいぢしんのものに比較ひかくして、その三分さんぶんいちといふほどのものが、最大さいだい記録きろくである。
地震の話 (旧字旧仮名) / 今村明恒(著)
北緯ほくい四十一度東経とうけい百四十度を航行中なる第五潜水艦隊の報告によれば、本日午後四時十五分、東北東に向って三十五キロの距離に於て、米国空軍に属する飛行船隊の航空せるを発見せり。
空襲葬送曲 (新字新仮名) / 海野十三(著)
それは外の道ではない、カンブーロン(桃溪とうけい)のサンワイラム(間道)を通り抜けて行けばきっとやすやすと向うへ出ることが出来ます。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
間道を通っていわゆる桃溪とうけい街道を通って帰る事になりましたが、これは後に聞いて見ますとやはりその男が私にいて来た事までは探偵が行届いて居らんようです。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
関西では吉益東洞よしますとうどう、といふやうな名医が出て、共に古方こほうの復興を唱へ、実技もおおいあらたまり、この両派の秀才が刀圭とうけいつかさどる要所々々へ配置されたが、一般にはまだ、行きわたらない。
上田秋成の晩年 (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
鎌倉かまくら東慶とうけい寺には、豊臣秀頼とよとみひでよりの忘れ形見という天秀尼てんしゅうにの墓がある。かれとこれとは同じような運命をになって生まれたとも見られる。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
ドーラギリー山の東谿とうけいにあるマルバ山村に出で、[六月十二日に]此村ここを立ってドーラギリー山の北の中腹のほとんど二万尺の所をえて西北原の方に進み
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
こんな乱世にうまれて、武士として生きるものにとっては、ほんとうにほしいものは棠谿とうけい墨陽ぼくようの如き名剣であり、それにくわえて財宝である。
南蛮の沙摩柯しゃまかが、蛮土の猛兵数万をしたがえて参加するし、洞渓とうけいの大将杜路とろ劉寧りゅうねいのふたりも手勢を挙げて加わったので、全軍の戦気すでに呉を呑み、水路の軍船は巫口ふこう(四川省・巫山)へ
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
燈檠とうけいを呼び、雪中松柏を高吟し、男児死すのみを激誦し、その家人を驚かし、その四隣をおそれしめたる、子爵品川弥次郎の徒をして、回想せしめば、まこと今昔こんじゃくの感に堪えざるものあらん。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)