後顧こうこ)” の例文
オレたちがお前たちの仲間に入っておれば、お前らも後顧こうこうれいなしというわけだ。八十吉君も竹造君も彼らと一しょに飲もうじゃないか。
信長が志業を中央へべる始めに、その後顧こうこたる三河の家康を説いて、織徳しょくとく同盟を成功に導いた彼の功は信長も大きく買っていたらしい。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
金のとうといこともいくらか知るが、今日のところでは幸い後顧こうこうれいがないだけになったから、なんだこの金はと思う気が常に僕の頭を去らない。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
くその所天おっとたすけて後顧こうこうれいなからしめ、あるいは一朝不幸にして、その所天おっとわかるることあるも、独立の生計を営みて、毅然きぜんその操節をきようするもの
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
こう寄附しろと云ってれる人もありますが、私は閣下のようなお方に、後顧こうこうれいなからしめ、国家のために思い切り奮闘していたゞけるようにする事も
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
二人ともにこうして悠々ゆうゆうと出馬のできるにはできるように、相当の後顧こうこの憂いを解決しておいたればのことで——子供ではないから、その辺に抜かりのあるべきはずもなかろうではないか。
大菩薩峠:28 Oceanの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
とのりんたる泰軒の声に、栄三郎は決然として後顧こうこのうれいを絶ったが、しとめられい! と聞いて、にっとくらがりに歯を見せて笑ったのは、まだ膝をそろえてすわっている丹下左膳だった。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
そういうおり夫の果しもない事業慾に——それもありふれた事をきらう大懸おおがかりの仕事に、何もかも投じてしまうくせのあるのを知って、せめて後顧こうこうれいのないようにと考えたのではなかろうか。
マダム貞奴 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
先生もおそらく後顧こうこの憂いのない気持ちがしていられたことと思う。
露伴先生の思い出 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
つまり王女の腹からは氷上ひかみいらつめが生まれ、それ以来王女はかうして中臣氏の正室として、鎌足をして後顧こうこの患ひなからしめることに依つて、太子の内政の上にも少なからぬ貢献をしてゐるからである。
春泥:『白鳳』第一部 (新字旧仮名) / 神西清(著)
喜雨到る後顧こうこうれい更に無し
五百五十句 (新字旧仮名) / 高浜虚子(著)
「みな、元気でおります。それに河内の領民どもも、よくとりでの工に力をあわせてくれますし、今のところ、後顧こうこには何のご心配もいりません」
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
兵馬を強からしめるには、後顧こうこうれいを断たなければならない。兵馬を強からしめるには、兵馬を練ればよろしいが、後顧の憂いなからしむるためには、百姓を柔順にして置かなければならぬ。
大菩薩峠:37 恐山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
「三河においてあればこれはさして後顧こうこの要もない。万が一にも、危うしとなれば、舟で落ちゆく島もあろうというもの」
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
(——兄の真雄も無事、妻子も無事、赤岩村には、何の後顧こうこもない。然るにそちは、何とした事だ。別所の湯町で、ふと姿を見た時、わしは泣いた)
山浦清麿 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
(左馬介の家庭には、あの屈託のない年寄がおるので、何ぼう奥が明るいか知れぬ。家に後顧こうこがなくてよい)
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
申すまでもなく、岐阜の神戸殿を、一撃に砕き、後顧こうこを断って、忽ちにその全力を挙げ、こなたへ向って、乾坤一擲けんこんいってきの決戦をいどみ来らん覚悟をなしたものと察せられます
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「——それがしのお供はかなわぬまでも、何とぞ、堀尾殿はぜひ御左右にお加え下されませ。広行、この場にて、腹掻はらかッ切り、殿の後顧こうこは、断ってお見せいたしまする」
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
建武けんむの聖戦のかげにも、女性の力のどんなにおおきかったかということだ。小楠公を生み育てたのも夫人なら、良人おっとの正成公をして後顧こうこうれいなく忠戦させたのも夫人の内助だ。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それには、関東以北を、徳川殿の手にゆだねて、後顧こうこの憂いなく、西へも南へも進出できる構えをまず立てねばならぬ。そうした御談合などもぽつぽつ運んでいるにちがいないよ
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
お見送りの出来ないのがただ名残なごしゅうぞんじます。けれど金子は、明朝御出立のまぎわ迄に、必ずお手許まで届けさせます故、家事など此儘このまま後顧こうこなく御上洛ごじょうらくくださいまし。
死んだ千鳥 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
すると高氏のおもてには、はた眼にもわかるほど、後顧こうこの或る憂いが、拭われていた。こんなことに触れるにつけ、師直は、主人高氏の弱い心の裏を、覗いたように知るのであった。
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いや、何も後顧こうこはないこの身ひとつとしている兵にしても、石でない木でない有情うじょうの心琴を揺すぶられて、何とはない涙がまなじりからひとりでに垂れてくるのをみな、どうしようもなかった。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それらの後顧こうこには、さらさら、ご懸念けねんなく、瀬戸内せとうち、山陽、山陰の軍路に大捷たいしょうをおさめられて、やがてれの都入りの日を、鶴首かくしゅ、お待ち申しあげております……とも、手紙の末尾には
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「叔父上には、お年もお年、戦陣へお出向きあるよりは、ここにござあって、和子や女子たちの、後顧こうこの者をおり下されたほうがありがたい。大殿にも私からそう申しあげておきましょう」
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
秀吉は、中国以来連戦のつかれも、これから先の後顧こうこも、いちどに取り除かれた気がした。今はただ、渾身こんしんの努力を天命に託して、天意のこたえを待つのみとする清々すがすがしさがあるだけであった。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
諸所へ兵を配し後顧こうこに備えてから、ようやくにして彼が江州ごうしゅうへ越えて来た頃には——時すでにおそしで、天下の変貌はまったく勝家の予想とは相反するものを旬日のまに招来していたのであった。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
小兵衛にとっては、その点も、後顧こうこのうれいは何もなかった。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)