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こうこ
ふりがな文庫
“
後顧
(
こうこ
)” の例文
オレたちがお前たちの仲間に入っておれば、お前らも
後顧
(
こうこ
)
の
憂
(
うれい
)
なしというわけだ。八十吉君も竹造君も彼らと一しょに飲もうじゃないか。
明治開化 安吾捕物:07 その六 血を見る真珠
(新字新仮名)
/
坂口安吾
(著)
信長が志業を中央へ
展
(
の
)
べる始めに、その
後顧
(
こうこ
)
たる三河の家康を説いて、
織徳
(
しょくとく
)
同盟を成功に導いた彼の功は信長も大きく買っていたらしい。
新書太閤記:09 第九分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
金の
貴
(
とうと
)
いこともいくらか知るが、今日のところでは幸い
後顧
(
こうこ
)
の
憂
(
うれ
)
いがないだけになったから、なんだこの金はと思う気が常に僕の頭を去らない。
自警録
(新字新仮名)
/
新渡戸稲造
(著)
能
(
よ
)
くその
所天
(
おっと
)
を
援
(
たす
)
けて
後顧
(
こうこ
)
の
憂
(
うれ
)
いなからしめ、あるいは一朝不幸にして、その
所天
(
おっと
)
に
訣
(
わか
)
るることあるも、独立の生計を営みて、
毅然
(
きぜん
)
その操節を
清
(
きよ
)
うするもの
妾の半生涯
(新字新仮名)
/
福田英子
(著)
こう寄附しろと云って
呉
(
く
)
れる人もありますが、私は閣下のようなお方に、
後顧
(
こうこ
)
の
憂
(
うれ
)
いなからしめ、国家のために思い切り奮闘していたゞけるようにする事も
真珠夫人
(新字新仮名)
/
菊池寛
(著)
▼ もっと見る
二人ともにこうして
悠々
(
ゆうゆう
)
と出馬のできるにはできるように、相当の
後顧
(
こうこ
)
の憂いを解決しておいたればのことで——子供ではないから、その辺に抜かりのあるべきはずもなかろうではないか。
大菩薩峠:28 Oceanの巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
との
凜
(
りん
)
たる泰軒の声に、栄三郎は決然として
後顧
(
こうこ
)
のうれいを絶ったが、しとめられい! と聞いて、にっとくらがりに歯を見せて笑ったのは、まだ膝をそろえてすわっている丹下左膳だった。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻
(新字新仮名)
/
林不忘
(著)
そういうおり夫の果しもない事業慾に——それもありふれた事をきらう
大懸
(
おおがか
)
りの仕事に、何もかも投じてしまう
癖
(
くせ
)
のあるのを知って、せめて
後顧
(
こうこ
)
の
憂
(
うれ
)
いのないようにと考えたのではなかろうか。
マダム貞奴
(新字新仮名)
/
長谷川時雨
(著)
先生もおそらく
後顧
(
こうこ
)
の憂いのない気持ちがしていられたことと思う。
露伴先生の思い出
(新字新仮名)
/
和辻哲郎
(著)
つまり王女の腹からは
氷上
(
ひかみ
)
ノ
娘
(
いらつめ
)
が生まれ、それ以来王女はかうして中臣氏の正室として、鎌足をして
後顧
(
こうこ
)
の患ひなからしめることに依つて、太子の内政の上にも少なからぬ貢献をしてゐるからである。
春泥:『白鳳』第一部
(新字旧仮名)
/
神西清
(著)
喜雨到る
後顧
(
こうこ
)
の
憂
(
うれい
)
更に無し
五百五十句
(新字旧仮名)
/
高浜虚子
(著)
「みな、元気でおります。それに河内の領民どもも、よく
砦
(
とりで
)
の工に力を
協
(
あわ
)
せてくれますし、今のところ、
後顧
(
こうこ
)
には何のご心配もいりません」
私本太平記:05 世の辻の帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
兵馬を強からしめるには、
後顧
(
こうこ
)
の
憂
(
うれ
)
いを断たなければならない。兵馬を強からしめるには、兵馬を練ればよろしいが、後顧の憂いなからしむるためには、百姓を柔順にして置かなければならぬ。
大菩薩峠:37 恐山の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
「三河においてあればこれはさして
後顧
(
こうこ
)
の要もない。万が一にも、危うしとなれば、舟で落ちゆく島もあろうというもの」
私本太平記:10 風花帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
(——兄の真雄も無事、妻子も無事、赤岩村には、何の
後顧
(
こうこ
)
もない。然るにそちは、何とした事だ。別所の湯町で、ふと姿を見た時、わしは泣いた)
山浦清麿
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
(左馬介の家庭には、あの屈託のない年寄がおるので、何ぼう奥が明るいか知れぬ。家に
後顧
(
こうこ
)
がなくてよい)
新書太閤記:08 第八分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
申すまでもなく、岐阜の神戸殿を、一撃に砕き、
後顧
(
こうこ
)
を断って、忽ちにその全力を挙げ、こなたへ向って、
乾坤一擲
(
けんこんいってき
)
の決戦を
挑
(
いど
)
み来らん覚悟をなしたものと察せられます
新書太閤記:09 第九分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「——それがしのお供はかなわぬまでも、何とぞ、堀尾殿はぜひ御左右にお加え下されませ。広行、この場にて、
腹掻
(
はらか
)
ッ切り、殿の
後顧
(
こうこ
)
は、断ってお見せいたしまする」
新書太閤記:09 第九分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
建武
(
けんむ
)
の聖戦のかげにも、女性の力のどんなに
偉
(
おお
)
きかったかということだ。小楠公を生み育てたのも夫人なら、
良人
(
おっと
)
の正成公をして
後顧
(
こうこ
)
の
憂
(
うれ
)
いなく忠戦させたのも夫人の内助だ。
梅里先生行状記
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
それには、関東以北を、徳川殿の手にゆだねて、
後顧
(
こうこ
)
の憂いなく、西へも南へも進出できる構えをまず立てねばならぬ。そうした御談合などもぽつぽつ運んでいるにちがいないよ
新書太閤記:07 第七分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
お見送りの出来ないのがただ
名残
(
なご
)
り
惜
(
お
)
しゅうぞんじます。けれど金子は、明朝御出立のまぎわ迄に、必ずお手許まで届けさせます故、家事など
此儘
(
このまま
)
、
後顧
(
こうこ
)
なく
御上洛
(
ごじょうらく
)
くださいまし。
死んだ千鳥
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
すると高氏のおもてには、はた眼にもわかるほど、
後顧
(
こうこ
)
の或る憂いが、拭われていた。こんなことに触れるにつけ、師直は、主人高氏の弱い心の裏を、覗いたように知るのであった。
私本太平記:07 千早帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
いや、何も
後顧
(
こうこ
)
はないこの身ひとつとしている兵にしても、石でない木でない
有情
(
うじょう
)
の心琴を揺すぶられて、何とはない涙が
眦
(
まなじり
)
からひとりでに垂れてくるのをみな、どうしようもなかった。
新書太閤記:06 第六分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
それらの
後顧
(
こうこ
)
には、さらさら、ご
懸念
(
けねん
)
なく、
瀬戸内
(
せとうち
)
、山陽、山陰の軍路に
大捷
(
たいしょう
)
をおさめられて、やがて
曠
(
は
)
れの都入りの日を、
鶴首
(
かくしゅ
)
、お待ち申しあげております……とも、手紙の末尾には
私本太平記:11 筑紫帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「叔父上には、お年もお年、戦陣へお出向きあるよりは、ここにござあって、和子や女子たちの、
後顧
(
こうこ
)
の者をお
傅
(
も
)
り下されたほうがありがたい。大殿にも私からそう申しあげておきましょう」
新書太閤記:07 第七分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
秀吉は、中国以来連戦のつかれも、これから先の
後顧
(
こうこ
)
も、いちどに取り除かれた気がした。今はただ、
渾身
(
こんしん
)
の努力を天命に託して、天意の
応
(
こた
)
えを待つのみとする
清々
(
すがすが
)
しさがあるだけであった。
新書太閤記:08 第八分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
諸所へ兵を配し
後顧
(
こうこ
)
に備えてから、ようやくにして彼が
江州
(
ごうしゅう
)
へ越えて来た頃には——時すでにおそしで、天下の変貌はまったく勝家の予想とは相反するものを旬日のまに招来していたのであった。
新書太閤記:07 第七分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
小兵衛にとっては、その点も、
後顧
(
こうこ
)
のうれいは何もなかった。
新書太閤記:11 第十一分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
後
常用漢字
小2
部首:⼻
9画
顧
常用漢字
中学
部首:⾴
21画
“後”で始まる語句
後
後生
後退
後方
後悔
後姿
後家
後手
後日
後世