“彊(つよ)” の例文
(一三)區區(くく)の齊(せい)を以(もつ)て、(一四)海濱(かいひん)に在(あ)り、(一五)貨(くわ)を通(つう)じ財(ざい)を積(つ)み、國(くに)を富(と)まし兵(へい)を彊(つよ)うし、(一六)俗(ぞく)と好惡(かうを)を同(おな)じうす故(ゆゑ)に(一七)其稱(そのしよう)に曰(いは)く、(一八)
是(ここ)に於(おい)て韓非(かんぴ)、((韓王ノ))國(くに)を治(をさ)むるに、其(その)法制(はふせい)を修明(しうめい)し・(四七)勢(いきほひ)を執(と)つて以(もつ)て其(その)臣下(しんか)を御(ぎよ)し・國(くに)を富(と)まし兵(へい)を彊(つよ)うして・以(もつ)て人(ひと)を求(もと)め賢(けん)に任(にん)ずるを務(つと)めず
管仲(くわんちう)の富(とみ)、公室(こうしつ)に(三二)擬(ぎ)し、(三三)三歸(き)反坫(はんてん)あり。(三四)齊人(せいひと)以(もつ)て侈(おご)ると爲(な)さず。管仲(くわんちう)卒(しゆつ)す。(三五)齊國(せいこく)其政(そのまつりごと)に遵(したが)つて、常(つね)に諸矦(しよこう)に彊(つよ)かりき。後(のち)百餘年(よねん)にして晏子(あんし)あり。
要(えう)は兵(へい)を彊(つよ)くし(一〇六)馳説(ちぜい)の(一〇七)從横(しようくわう)を言(い)ふ者(もの)を破(やぶ)るに在(あ)るなり。是(ここ)に於(おい)て南(みなみ)は百越(ゑつ)を平(たひ)らげ、北(きた)は陳蔡(ちんさい)を并(あは)せ(一〇八)三晉(しん)を却(しりぞ)け、西(にし)は秦(しん)を伐(う)つ。諸矦(しよこう)、楚(そ)の彊(つよ)きを患(うれ)ふ。
昭矦(せうこう)用(もつ)て相(しやう)と爲(な)し、内(うち)、政教(せいけう)を修(をさ)め、外(ほか)、諸矦(しよこう)に應(おう)ずること十五年(ねん)、申子(しんし)の身(み)を終(をは)るまで、國(くに)治(をさ)まり兵(へい)彊(つよ)く、韓(かん)を侵(をか)す者(もの)無(な)かりき。申子(しんし)の學(がく)は、(四二)黄老(くわうらう)に本(もと)づき、(四三)刑名(けいめい)を主(しゆ)とせり。