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ひろさき
ふりがな文庫
“
弘前
(
ひろさき
)” の例文
文字がよく示しますように、日本の一番奥のはては
陸奥
(
むつ
)
の国であります。県庁は青森市に在りますが、
津軽
(
つがる
)
氏の居城は
弘前
(
ひろさき
)
でありました。
手仕事の日本
(新字新仮名)
/
柳宗悦
(著)
もし翰が持出した珍書の中にむかし
弘前
(
ひろさき
)
医官渋江氏旧蔵のものが
交
(
まじ
)
っていたなら、世の中の事は
都
(
すべ
)
て廻り持であると言わなければならない。
梅雨晴
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
あれは私が
弘前
(
ひろさき
)
の高等学校にはいって、その翌年の二月のはじめ頃だったのではなかったかしら、とにかく冬の、しかも
大寒
(
だいかん
)
の頃の筈である。
チャンス
(新字新仮名)
/
太宰治
(著)
弘前
(
ひろさき
)
の城主
津軽順承
(
つがるゆきつぐ
)
の
定府
(
じょうふ
)
の医官で、当時
近習詰
(
きんじゅづめ
)
になっていた。しかし隠居
附
(
づき
)
にせられて、
主
(
おも
)
に
柳島
(
やなぎしま
)
にあった
信順
(
のぶゆき
)
の
館
(
やかた
)
へ出仕することになっていた。
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
滝ノ沢峠をこえ、
温川
(
ぬるがわ
)
の一軒家に、十一日間ほどいて原稿を書き、黒石街道を歩いて、
弘前
(
ひろさき
)
まで出たのであった。
随筆 新平家
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
▼ もっと見る
その津軽でも
弘前
(
ひろさき
)
の城下はシホドまたはエリギというが、在郷の人々はシボトともシプトとも発音し、さらに南部領から気仙方面にかけてはシブトがある。
木綿以前の事
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
弘前
(
ひろさき
)
の
菩提寺
(
ぼだいじ
)
で簡単な法要をすませたが、その席で伯母などからさんざん油をしぼられ、ほうほうの
体
(
てい
)
で帰京した。その前後から自分は節制の気持を棄てた。
死児を産む
(新字新仮名)
/
葛西善蔵
(著)
わずかにこの街道では四月二十七日に美濃
苗木
(
なえぎ
)
の女中方が江戸をさしての通行と、その前日に中津川泊まりで東下する
弘前
(
ひろさき
)
城主
津軽侯
(
つがるこう
)
の通行とを迎えたのみだ。
夜明け前:02 第一部下
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
あそこなどももつと静かにして置きたかつた。
弘前
(
ひろさき
)
から入つて行く岩木川の上流も行つて見たいと思ひながら今だに行つて見る機会がなくつて遺憾に思つてゐる。
あちこちの渓谷
(新字旧仮名)
/
田山花袋
、
田山録弥
(著)
「リヨカウチウユヘヒトリデコイ」といふのを、山形まはりの青森線に當る
弘前
(
ひろさき
)
停車場へ宛て、受信人を上野十二月二日正午發列車中の清水お鳥として打電した。
泡鳴五部作:04 断橋
(旧字旧仮名)
/
岩野泡鳴
(著)
寶暦九年
(
ほうれきくねん
)
七月二十八日
(
しちがつにじゆうはちにち
)
弘前
(
ひろさき
)
に
於
(
おい
)
て
西北方
(
せいほくほう
)
遽
(
にはか
)
に
曇
(
くも
)
り
灰
(
はひ
)
を
降
(
ふ
)
らしたが、その
中
(
なか
)
には
獸毛
(
じゆうもう
)
の
如
(
ごと
)
きものも
含
(
ふく
)
まれてゐたといふ。これは
渡島
(
おしま
)
大島
(
おほしま
)
の
噴火
(
ふんか
)
に
因
(
よ
)
つたものである。
火山の話
(旧字旧仮名)
/
今村明恒
(著)
青山の
推薦者
(
すいせんしゃ
)
から塾堂に来た手紙によると、かれは二十三歳の若さで、
弘前
(
ひろさき
)
の郊外に、相当大きなりんご園を経営しており、しかも、そのりんご園の中に、私財を投じて
次郎物語:05 第五部
(新字新仮名)
/
下村湖人
(著)
コブシの花でも、蕗の薹の花でも、彼處の田の畔から見れば結構この上ない花見なんだよ。
弘前
(
ひろさき
)
の公園の觀櫻會見たやうに、白粉の香ひがプンプンするやうなものぢやないよ。
地方主義篇:(散文詩)
(旧字旧仮名)
/
福士幸次郎
(著)
「金沢、字都宮、
弘前
(
ひろさき
)
の各師団より成る北満軍主力は、本日午後四時をもって、
興安嶺
(
こうあんれい
)
を突破せり。これより、
善通寺
(
ぜんつうじ
)
支隊と呼応し、
海拉爾
(
ハイラル
)
、
満州里
(
マンチュリ
)
方面に進撃せんとす。終り」
空襲葬送曲
(新字新仮名)
/
海野十三
(著)
「津軽の
弘前
(
ひろさき
)
です。弘前の殿さまのお別荘が唐内坂にあるんですわ、口では云えないほど景色のいいところで、唐の国にもないだろうというので、からない坂って名を付けたのですって」
あだこ
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
東京を立つてから山形、
船川港
(
ふなかはかう
)
、
弘前
(
ひろさき
)
、青森、
津輕
(
つがる
)
海峽を越えて
室蘭
(
むろらん
)
と寄り道しながら、眼差す
苫小牧
(
とまこまい
)
へと着いたのが七八日頃、それから九月へかけてのまる一ヶ月ほどを妹夫婦の家に
暮
(
くら
)
した。
処女作の思い出
(旧字旧仮名)
/
南部修太郎
(著)
青森に一夜明して、十月六日の朝
弘前
(
ひろさき
)
に往つた。
熊の足跡
(旧字旧仮名)
/
徳冨蘆花
(著)
青森に一夜
明
(
あか
)
して、十月六日の朝
弘前
(
ひろさき
)
に往った。
みみずのたはこと
(新字新仮名)
/
徳冨健次郎
、
徳冨蘆花
(著)
私がまだ
弘前
(
ひろさき
)
高等学校の文科生であって、しばしば東京の兄(この兄はからだの弱い彫刻家で、二十七歳で病死した)
十五年間
(新字新仮名)
/
太宰治
(著)
妻の祖母と総領の嫁さんとは私たちの窓の外へ来て
悔
(
くや
)
みを言った。次ぎのK駅では五里ばかし支線を乗ってくる伯母をプラットホームに捜したが、見えなかった。次ぎが
弘前
(
ひろさき
)
であった。
父の葬式
(新字新仮名)
/
葛西善蔵
(著)
わずかに、居城のある
弘前
(
ひろさき
)
を中心に、黒石支藩の地方にかけてだけ、産業も文化もやや見られるものがあるという状態なので、表高は四万六千石でも、その実収穫は、四万石が欠けていた。
鬼
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
前後が山型をした珍らしい
鞍
(
くら
)
で、多くはこれを朱塗にし、上に金具の飾りを沢山あしらいます。北の端の
弘前
(
ひろさき
)
の
和鞍
(
わぐら
)
と南北好一対をなすものといえましょう。形が珍らしく他に類を見ません。
手仕事の日本
(新字新仮名)
/
柳宗悦
(著)
モオドリ 青森県
弘前
(
ひろさき
)
野草雑記・野鳥雑記:02 野鳥雑記
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
私が
弘前
(
ひろさき
)
の高等学校を卒業し、東京帝大の
仏蘭西
(
フランス
)
文科に入学したのは昭和五年の春であるから、つまり、東京へ出て三年目に小説を発表したわけである。
十五年間
(新字新仮名)
/
太宰治
(著)
私は昭和五年に
弘前
(
ひろさき
)
の高等学校を卒業し、東京帝大の仏蘭西文科に入学した。仏蘭西語を一字も解し得なかったけれども、それでも仏蘭西文学の講義を聞きたかった。
東京八景:(苦難の或人に贈る)
(新字新仮名)
/
太宰治
(著)
慶四郎君は小学校を卒業してから
弘前
(
ひろさき
)
の中学校に行き、私は青森の中学校にはいった。それから慶四郎君は、東京のK大学にはいり、私も東京へ出たが、あまり
逢
(
あ
)
う事は無かった。
雀
(新字新仮名)
/
太宰治
(著)
お前が
弘前
(
ひろさき
)
の女学校を卒業して、東京の専門学校に行くと言い出した時にも、おれは何としても反対で、気分が悪くなって寝込んでしまったが、あさはおれの寝ている
枕元
(
まくらもと
)
に坐ったきりで
冬の花火
(新字新仮名)
/
太宰治
(著)
(数枝) けさ早く、おじいちゃんに連れられて
弘前
(
ひろさき
)
へまいりました。
冬の花火
(新字新仮名)
/
太宰治
(著)
ほんの一時ひそかに
凝
(
こ
)
った事がある。服装に凝ったのである。
弘前
(
ひろさき
)
高等学校一年生の時である。
縞
(
しま
)
の着物に角帯をしめて歩いたものである。そして
義太夫
(
ぎだゆう
)
を習いに、女師匠のもとへ通ったのである。
服装に就いて
(新字新仮名)
/
太宰治
(著)
“弘前(弘前市)”の解説
弘前市(ひろさきし)は、青森県西部にある市である。日本で最初に市制を施行した都市の一つ。弘前藩の城下町として発展し、現在も津軽地方の中心都市として、周辺自治体に広がる人口約30万人(2010年)の弘前都市圏を形成している。青森県唯一の国立大学である弘前大学が設置されている。
(出典:Wikipedia)
弘
漢検準1級
部首:⼸
5画
前
常用漢字
小2
部首:⼑
9画
“弘前”で始まる語句
弘前在
弘前城