大宮人おおみやびと)” の例文
ただまえに挙げた『ますかがみ』のものがたりをあたまにおいてかまくらの初期ごろにここで当年の大宮人おおみやびとたちが四季おりおりの遊宴を
蘆刈 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
父親ちちおや相当そうとうたか地位ちい大宮人おおみやびとで、狭間信之はざまのぶゆき母親ははおやはたしか光代みつよ、そして雛子ひなこ夫婦ふうふなか一粒種ひとつぶだねのいとしだったのでした。
根は根からの大宮人おおみやびと、任は国司という文官なのだが、いつか純粋花のようなこの童貞の人は、自身を馬上の将軍にきたえていた。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
下人しもびとあこがれる、華かな詩歌管絃しいかかんげんうたげも、彼にとっては何でしたろう? 移ろいやす栄華えいがの世界が彼にとっては何でしたろう? 花をかざして練り歩く大宮人おおみやびとの中に
なよたけ (新字新仮名) / 加藤道夫(著)
その昔、大宮人おおみやびとは、どちらにでも意味のとれる様な「恋歌こいか」というたくみな方法によって、あからさまな拒絶の苦痛をやわらげようとしました。彼の場合はちょうどそれなのです。
日記帳 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
晩年こそ謹厳いやしくもされなかった大御所おおごしょ古稀庵こきあん老人でさえ、ダンス熱に夢中になって、山県のやり踊りの名さえ残した時代、上流の俊髦しゅんぼう前光卿は沐猴もくこうかんしたのは違う大宮人おおみやびと
柳原燁子(白蓮) (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
そのためでもあるが、三人は大宮人おおみやびとの習慣を持ちつづけて、なすこともなく、毎日暮していた。俊寛は、そうした生活を改め、自分ですなどりし、自分で狩りし、自分でたがやすことを考えた。
俊寛 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
遷都騒ぎがあって大宮人おおみやびとがぞろぞろと北の方へ行ってしまう。近江おうみでは大銅像の鋳造などがはじめられている。古き都は「道の芝草長く生い」世の中の無常を思わせるほどに荒れて行く。
古寺巡礼 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
「や、蕎麦かきを……されば匂う。来世はかりうまりょうとも、新蕎麦と河豚ふぐは老人、生命いのちに掛けて好きでござる。そればかりは決して御辞儀申さぬぞ。林間に酒こそ暖めませぬが、大宮人おおみやびとの風流。」
白金之絵図 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
九重ここのえ大宮人おおみやびともかしはもち今日はをすかもしずさびて
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
花かざす大宮人おおみやびとの子は慎みが深い。
妻の秘密筥 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
春なれや——と、何はいても、歌のひとつもいでないことには、大宮人おおみやびとといわれる知性人の恥みたいな風潮なのだ。
いってみれば、百敷ももしき大宮人おおみやびとたちの貴族文化に張り合って、ここの人びとが身相応に誇って持つ唯一の楽園なのである。凡下ぼんげ地下人ちげびとだけの花の都なのだ。
京の大宮人おおみやびとが歌よむ春のあけぼのは、加茂かもの水、清水きよみずの花あかりから、ほのぼのと明けようとしている。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
こんなとき、天皇も、御微笑されたり、お妃も、女官たちも、笑みこぼれて、ときならぬ百花らんまんの雲がらぐ。にや、雲の上といい、九重ここのえ大宮人おおみやびとというのも、誇張ではない。
血に狂う豼貅ひきゅう数万の大将として、尊氏が慎重でないわけはない。おそらくは、いまや動顛どうてん狼狽の極にあろう内裏の大宮人おおみやびとたちが——わけても後醍醐のご進退が——彼の胸にも想像されて
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
廟堂びょうどうもまた、いにしえの大宮人おおみやびとの心ではありません。