井上紅梅（いのうえこうばい）
1881 〜 1950
翻訳者としての作品一覧
阿Ｑ正伝（新字新仮名）
読書目安時間：約1時間9分
わたしは阿Ｑの正伝を作ろうとしたのは一年や二年のことではなかった。けれども作ろうとしながらまた考えなおした。これを見てもわたしは立言の人でないことが分る。従来不朽の筆は不朽の人を伝 …
明日（新字新仮名）
読書目安時間：約11分
「声がしない。——小さいのがどうかしたんだな」 赤鼻の老拱は老酒の碗を手に取って、そういいながら顔を隣の方に向けて唇を尖らせた。 藍皮阿五は酒碗を下に置き、平手で老拱の脊骨をいやと …
兎と猫（新字新仮名）
読書目安時間：約8分
わたしどもの裏庭の奥に住んでいる三太太は、夏のうち一対の白兎を買取り、彼の子供等の玩具にした。 この一対の白兎は乳離れがしてから余り長くはないらしく、畜生ではあるが彼等の天真爛熳を …
鴨の喜劇（新字新仮名）
読書目安時間：約6分
ロシヤの盲目詩人エロシンコ君が、彼の六絃琴を携えて北京に来てから余り久しいことでもなかった。彼はわたしに苦痛を訴え 「淋しいな、淋しいな、沙漠の上にある淋しさにも似て」 これは全く …
狂人日記（新字新仮名）
読書目安時間：約17分
某君兄弟数人はいずれもわたしの中学時代の友達で、久しく別れているうち便りも途絶えがちになった。先頃ふと大病に罹った者があると聞いて、故郷に帰る途中立寄ってみるとわずかに一人に会った …
薬（新字新仮名）
読書目安時間：約15分
亮るい月は日の出前に落ちて、寝静まった街の上に藍甕のような空が残った。 華老栓はひょっくり起き上ってマッチを擦り、油じんだ燈盞に火を移した。青白い光は茶館の中の二間に満ちた。 「お …
孔乙己（新字新仮名）
読書目安時間：約9分
魯鎮の酒場の構えは他所と違っていずれも皆、曲尺形の大櫃台を往来へ向けて据え、櫃台の内側には絶えず湯を沸かしておき、燗酒がすぐでも間に合うようになっている。仕事をする人達は正午の休み …
幸福な家庭（新字新仮名）
読書目安時間：約13分
「……するもしないも全く自分の勝手だが、作品というからには、鉄と石とカチ合って出来た火花のようなものでは駄目だ。あの太陽の光のように無限の光源の中から湧き出して来たようなものが、こ …
故郷（新字新仮名）
読書目安時間：約17分
わたしは厳寒を冒して、二千余里を隔て二十余年も別れていた故郷に帰って来た。時はもう冬の最中で故郷に近づくに従って天気は小闇くなり、身を切るような風が船室に吹き込んでびゅうびゅうと鳴 …
些細な事件（新字新仮名）
読書目安時間：約4分
わたしは在所から都の中に飛込んで来て、ちょっとまばたきしたばかりでもう六年経ってしまった。その間、耳にもし眼にも見たいわゆる国家の大事というものは、勘定してみるとずいぶん少くないが …
端午節（新字新仮名）
読書目安時間：約14分
方玄綽は近頃「大差ない」という言葉を愛用しほとんど口癖のようになった。それは口先ばかりでなく彼の頭の中にしかと根城を据えているのだ。彼は初め「いずれも同じ」という言葉をつかっていた …
頭髪の故事（新字新仮名）
読書目安時間：約8分
日曜日の朝、わたしは剥取暦のきのうの分を一枚あけて、新しい次の一枚の表面を見た。 「あ、十月十日——きょうは双十節だったんだな。この暦には少しも書いてない」 わたしの先輩の先生Ｎは …
「吶喊」原序（新字新仮名）
読書目安時間：約9分
わたしは年若い頃、いろいろの夢を作って来たが、あとではあらかた忘れてしまい惜しいとも思わなかった。いわゆる囘憶というものは人を喜ばせるものだが、時にまた、人をして寂寞たらしむるを免 …
白光（新字新仮名）
読書目安時間：約9分
陳士成が県の試験の発表を見て、家へ帰って来た時にはもう午後であった。彼は行った時には手ッ取早く掲示板を見て、まず上段の陳字を捜した。陳字も少くはないが、皆先きを争い、遅るるを恐れる …
風波（新字新仮名）
読書目安時間：約15分
河沿いの地面から、太陽はその透きとおった黄いろい光線をだんだんに引上げて行った。河端の烏臼木の葉はからからになって、ようやく喘ぎを持ち堪えた。いくつかの藪蚊は下の方に舞いさがって、 …
不周山（新字新仮名）
読書目安時間：約15分
女媧は、たちまち目を醒ました。 彼女は夢から驚き醒めたが、もうその時にはどんな夢を見たかハッキリ覚えていない。ただ非常に悩ましく、何か物足りなく、また何か多過ぎるようでもあった。そ …
村芝居（新字新仮名）
読書目安時間：約19分
わたしが支那の芝居を見たのは過去二十年間にたった二度だけであった。前の十年は絶対に見なかった。また見ようという意思も機会もなかったから、その二度はどちらも後の十年のうちで、しかもと …