会津八一
1881.08.01 〜 1956.11.21
著者としての作品一覧
一片の石(新字旧仮名)
読書目安時間:約6分
人間が石にたよるやうになつて、もうよほど久しいことであるのに、まだ根気よくそれをやつてゐる。石にたより、石に縋り、石を崇め、石を拝む。この心から城壁も、祭壇も、神像も、殿堂も、石で …
読書目安時間:約6分
人間が石にたよるやうになつて、もうよほど久しいことであるのに、まだ根気よくそれをやつてゐる。石にたより、石に縋り、石を崇め、石を拝む。この心から城壁も、祭壇も、神像も、殿堂も、石で …
音楽に就いて(旧字旧仮名)
読書目安時間:約6分
既に美育部を持つてゐる早稻田中學校が新に音樂會を興してその發會式をやらうとする其の日から、又病氣で暫く引き籠る事になつた。私は元來音樂には殆ど無智で趣味も深いとは言へない。けれども …
読書目安時間:約6分
既に美育部を持つてゐる早稻田中學校が新に音樂會を興してその發會式をやらうとする其の日から、又病氣で暫く引き籠る事になつた。私は元來音樂には殆ど無智で趣味も深いとは言へない。けれども …
学規(旧字旧仮名)
読書目安時間:約2分
古い日記や手紙などを、みんな燒いてしまつたので、こまかに時日をいへないが、まだ若い中學教師であつた私が、牛込下戸塚町の素人下宿から、小石川豐川町へ引越して、その時越後から出て來たば …
読書目安時間:約2分
古い日記や手紙などを、みんな燒いてしまつたので、こまかに時日をいへないが、まだ若い中學教師であつた私が、牛込下戸塚町の素人下宿から、小石川豐川町へ引越して、その時越後から出て來たば …
菊の根分をしながら(新字旧仮名)
読書目安時間:約6分
昨日が所謂彼岸の中日でした。吾々のやうに田舎に住むものの生活が、これから始まるといふ時です。私も東京の市中を離れた此の武蔵野の畑の最中に住んで居るから、今日は庭の隅に片寄せてある菊 …
読書目安時間:約6分
昨日が所謂彼岸の中日でした。吾々のやうに田舎に住むものの生活が、これから始まるといふ時です。私も東京の市中を離れた此の武蔵野の畑の最中に住んで居るから、今日は庭の隅に片寄せてある菊 …
支那の明器(新字旧仮名)
読書目安時間:約7分
私ほど名実の副はない蒐集家は無い。何か余程いゝものでも沢山持つて居るやうに云ひ囃やされながら、実は是れと云ふほどのものは何も持たない。 小石川に住んで居る頃に——これは十数年も前の …
読書目安時間:約7分
私ほど名実の副はない蒐集家は無い。何か余程いゝものでも沢山持つて居るやうに云ひ囃やされながら、実は是れと云ふほどのものは何も持たない。 小石川に住んで居る頃に——これは十数年も前の …
趣味の向上:――青年学生のために――(旧字旧仮名)
読書目安時間:約6分
「それは意見の相違だ」と互に頑張りあつて、相下らない。こんな事は世間の政治家の間などには、珍らしくも無くなつて仕舞つたが、「趣味の相違」といふ捨科白を美術や文學などに心を寄せる人々 …
読書目安時間:約6分
「それは意見の相違だ」と互に頑張りあつて、相下らない。こんな事は世間の政治家の間などには、珍らしくも無くなつて仕舞つたが、「趣味の相違」といふ捨科白を美術や文學などに心を寄せる人々 …
趣味の修養(旧字旧仮名)
読書目安時間:約8分
何處までも/\芋畑や雜木林ばかりで退屈な汽車の窓に、小ぢんまりとした木立が見えて、それが近づくにつれて庭には草花が綺麗に咲かせてあつて、その中に白い鷄が遊んで居る、家の造りも面白い …
読書目安時間:約8分
何處までも/\芋畑や雜木林ばかりで退屈な汽車の窓に、小ぢんまりとした木立が見えて、それが近づくにつれて庭には草花が綺麗に咲かせてあつて、その中に白い鷄が遊んで居る、家の造りも面白い …
少年少女におくる言葉(旧字旧仮名)
読書目安時間:約2分
私は新潟の生れで小學校は西堀小學校(今はないが、廣小路の消防の詰署のある附近)へ通つたものだ。そこを出て大畑の高等小學校へ進んだが、成績はけつして優等どころでなく、やうやく眞中へと …
読書目安時間:約2分
私は新潟の生れで小學校は西堀小學校(今はないが、廣小路の消防の詰署のある附近)へ通つたものだ。そこを出て大畑の高等小學校へ進んだが、成績はけつして優等どころでなく、やうやく眞中へと …
綜合大学の図書(旧字旧仮名)
読書目安時間:約4分
小泉八雲といへば、日本人の名であるし、日本人として東京の宅で死んでその全集は日本語で出版されてゐるが、父は英國のアイルランドの軍醫、母はギリシャのリウカヂアの娘、子供の時はフランス …
読書目安時間:約4分
小泉八雲といへば、日本人の名であるし、日本人として東京の宅で死んでその全集は日本語で出版されてゐるが、父は英國のアイルランドの軍醫、母はギリシャのリウカヂアの娘、子供の時はフランス …
綜合大学を迎へて(旧字旧仮名)
読書目安時間:約4分
綜合大學が新潟に出來ることに本ぎまりにきまつたといふことはまことにうれしい。いち早く氣勢を上げて、猛烈に奔走してくれた指導者たちに感謝しなければならない。 けれども、綜合大學は、も …
読書目安時間:約4分
綜合大學が新潟に出來ることに本ぎまりにきまつたといふことはまことにうれしい。いち早く氣勢を上げて、猛烈に奔走してくれた指導者たちに感謝しなければならない。 けれども、綜合大學は、も …
大学とその総長(旧字旧仮名)
読書目安時間:約4分
綜合大學を作るのに、まづもつて、何よりも大切なのは、よき總長を得ることだといふやうな意見を、最近何處かで見たが、これはとんでもない大まちがひの意見で、私は、びつくりしてしまつた。大 …
読書目安時間:約4分
綜合大學を作るのに、まづもつて、何よりも大切なのは、よき總長を得ることだといふやうな意見を、最近何處かで見たが、これはとんでもない大まちがひの意見で、私は、びつくりしてしまつた。大 …
拓本の話(旧字旧仮名)
読書目安時間:約9分
私は拓本の御話をしやう。 支那では昔からすべて文字で書いたものを大切にするが、誰が書いたところで相當に年月が經てばみんな消えて仕舞ふ。紙でも、絹でも、木でも、——名人が書けば木の中 …
読書目安時間:約9分
私は拓本の御話をしやう。 支那では昔からすべて文字で書いたものを大切にするが、誰が書いたところで相當に年月が經てばみんな消えて仕舞ふ。紙でも、絹でも、木でも、——名人が書けば木の中 …
“会津八一”について
会津 八一(あいづ やいち、會津 八一、1881年〈明治14年〉8月1日 - 1956年〈昭和31年〉11月21日)は、日本の歌人・美術史家・書家。雅号は、秋艸道人・渾斎。1951年に新潟市名誉市民。
早大英文科卒。奈良の仏教美術にひかれ、ひらがな書きの万葉調短歌を詠み、『南京新唱』(1924年)を刊行。のち上京、早大教授となり、「東洋美術史」等を講じた。晩年は新潟市に戻り、書に専念。歌集に『鹿鳴集』(1940年)など。
(出典:Wikipedia)
早大英文科卒。奈良の仏教美術にひかれ、ひらがな書きの万葉調短歌を詠み、『南京新唱』(1924年)を刊行。のち上京、早大教授となり、「東洋美術史」等を講じた。晩年は新潟市に戻り、書に専念。歌集に『鹿鳴集』(1940年)など。
(出典:Wikipedia)
“会津八一”と年代が近い著者
今月で没後X十年
今年で生誕X百年
今年で没後X百年
ジェーン・テーラー(没後200年)
山村暮鳥(没後100年)
黒田清輝(没後100年)
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原勝郎(没後100年)
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郡虎彦(没後100年)
フランツ・カフカ(没後100年)