質子ちし)” の例文
それは、年久しく、甲州に質子ちしとして養われていた末子の五男御坊丸ごぼうまるが、甲州の使者に伴われて、安土へおくかえされて来たことである。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
降伏は受け難いが、和睦わぼくを結ぶなれば悪しかるまじ、その代りに、自分は質子ちしとして、筒井家にとどまる——という存念と相見える
剣の四君子:02 柳生石舟斎 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「治承の世にも、木曾殿(義仲)がそうでしたろ。頼朝公に質子ちしを求められ、巴御前ともえごぜとの仲の一子を鎌倉へ送って、都入りを果たされた」
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼の身を、質子ちしとして、今川家に軟擒なんきんしておくことは、政略であって、慈悲ではない。三河併呑へいどんの策謀ではあるが、同情や善意ではない。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そういう卑劣ひれつな風説を打ち消すために、養子秀勝を、お迎えに上げたが、これを取って、質子ちしと召され、安心して、御通過をねがいたい。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「お、家臣かしんの者ではないから、そちはまだ知らぬとみえる。かの信州しんしゅう上田城うえだじょうから質子ちしとしてきている真田昌幸さなだまさゆきのせがれ源次郎がことじゃ」
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
細川忠興は、三男の忠利を、江戸に質子ちしとし、次男興秋と、嫡男の忠隆をつれて、家康の陣に加わり、宇都宮に出陣していた。
老臣らもまた、秀吉の陣門に叩頭こうとうのほかはなく、信孝の生母の坂氏、及び家族の女子たちを質子ちしとした上、なお自分らの母たちまで送って
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
あの小冠者こかんじゃを、いつまで籠の鳥の質子ちしと思うていると間違いまするぞ。今川家のひさしに巣喰うて満足しておる燕雀えんじゃくではおざらぬ。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この夏以来の——いや小牧講和の前後から、名は秀吉の養子でも、実際は、質子ちしとして、家康の一子於義丸おぎまるが、大坂城へ送られたときから——
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
他家の質子ちしとはなっても、父孝高よしたか剛毅ごうきと、戦国の骨太ほねぶとな育成に生い立って、すこしもいじけた子となってはいなかった。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
中川瀬兵衛も、高山右近も、兵を外におき、れて来た質子ちしと少数の従者と共に、境内の一隅にたたずんでいるしかなかった。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「貴公はまだ、あの質子ちしを、打っておらないのか。その首を、伊丹城におる黒田官兵衛のところへ、送ってもおらないのか。そうなのであるか」
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
白いふすまを背に、やがて豪骨ごうこつな老武士が手をつかえていた。質子ちし目附兼傅役めつけけんもりやくとして松寿丸に附けてある者だった。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
なぜならば、京都の兇変を、今朝もまだ彼が知らないものとすれば、たとえ質子ちしを送って来たにせよ、それを知った彼の変心ははかがたいからである。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「でも、筑前どのを召して、事情をお聞きとりになるなれば。官兵衛の質子ちしの処分も、彼と御相談の上になされては」
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
扱いは、北条美濃守氏規うじのり。これは家康が幼時、今川家に質子ちしとなっていた頃、共に質子として同家にいた幼な友達である。これ以上の口きき人はない。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
従って、講和条件の実行は、秀吉の意のままにすすみ、城地の分割、質子ちし誓紙せいしを差し出すことも、残らず終った。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
何かにつけ、質子ちしの身であり、若年だし、帷幕いばく錚々そうそうたる武将たちの間では、元康の存在など、余りに小さかった。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「新介様のことです。ですから、時折、お見舞に来て上げるのです。其方そなただって、もしいくさに負けて、敵方へ質子ちしとなって行ったら、どんなに思いますか」
剣の四君子:02 柳生石舟斎 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
質子ちしの身は、私の国許にしかとお預りいたしてある。左様に急がずとも、いつでもし得ることと思いまして」
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「降伏は申し出ぬが、和議なれば応じ申そう。条件としては、嫡男新介宗厳むねとし様を、長く質子ちしとして貴家へお預け申すべしとの主人家厳が意見にござります」
剣の四君子:02 柳生石舟斎 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
子を鎌倉の質子ちしとして去る親の立場から、その千寿王の生命を、義貞に保護させておくことにもなるし、また
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「すぐ、筑前へ書状をれ。——かねて筑前にあずけてある官兵衛の質子ちし松千代の首を打ってさし出せ、と」
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
世に質子ちしの身上ほど不愍ふびんなものはないと思っていたが、それはまだ世間を知らないし頑是がんぜないところもある。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
質子ちしとはいわぬが、せっかくお連れになった不知哉丸とか。たしかに、道誉がお預かりするとしよう!」
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
七歳ななつの頃から今川家の質子ちしとはなったが、臨済寺りんざいじ寒室かんしつで、雪斎和尚せっさいおしょうについて、学問をうけた家康は、その点、秀吉とは、比較にならない高等教育をうけている。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかし、それならなんで不知哉丸いさやまるを連れてきたのか。一子不知哉丸を質子ちしとして預けると提言したのか。
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
長浜をつに先だって、かねて安土にめおいた神戸かんべ殿の質子ちしはみな討ち果したということでおざる。もって、筑前めが、岐阜へ向った決意のほどもうかがわれ申す。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
さすれば、信長公のもとにさしあげてある質子ちし松千代様のお命は当然ないものと覚悟しなければ相成らぬ。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
家康の質子ちしはまた、機をうかがって逃げてしまい、信長と家康が、その緊密な同盟のもとにはかり合ってしたものという外交的効果が、今では余りにも明らかにされていた。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
大蔵おおくらのおやしきだよ。……あの足利屋敷の内に、御執権の命令で、質子ちしとして、足止めをされていた足利どののお子が、いつのまにか、いなくなったという騒ぎなんだ」
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「それよりも、内心この陳大夫をお疑いなのでしょう。よろしい。しからばこうしましょう。せがれ陳登は質子ちしとして、ご城中に止めておき、てまえ一人で行ってきます」
三国志:04 草莽の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
義仲が子の義高を鎌倉へ質子ちしにやるとき、諸将士の妻女を召してわけを語ると、衆婦みな泣いて義仲に謝したなどということも見えるから、木曾勢には、その一軍団ごとに
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
今暁、足利屋敷から、質子ちしの千寿王が、とつぜん、姿を消したことにまたをかけての噂が
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
また、家康から質子ちしをとって、なぜ彼が駿遠すんえんへ領土をひろげてくるのを黙視していたか。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
質子ちしとして、今川家に養われていた頃から仕えていたほど、きの三河武士であったが、長島一揆いっきの際、勘気をうけて、以来、十八年のあいだ諸州を浪々していたものである。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
要するに、愛娘を先に質子ちしとして送り、信義を示すならば——という条件なのである。
三国志:04 草莽の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
信長の覇示はじにたいしては、あれほど長年に、また執拗しつように、対抗を続けて来た毛利も、いまは質子ちしを送って、盟下めいかに属し、九州の大友義統よしむねも、こんどは祝書を寄せて、かんつうじて来たし
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
だが、のちの大軍師だいぐんし幸村ゆきむらも、この時はまだ才蔵さいぞうよりも大九郎よりも後輩こうはいであったし、上田城うえだじょう城主じょうしゅ昌幸まさゆきの子とはいいながら、質子ちしとしてきている身分みぶんなので、なにかにつけて肩身かたみがせまい。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
質子ちしを拒めば、当然、曹操とは敵国になる。
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
質子ちし、送るべし。
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)