老舖しにせ)” の例文
新字:老舗
老舖しにせの御新造らしくなく派手なのが、今朝起きて見ると、母屋と土藏の間、三尺ほどの狹いところに、頭を打ちくだかれて死んでゐたといふのです。
銭形平次捕物控:260 女臼 (旧字旧仮名) / 野村胡堂(著)
お六櫛などをひさいでゐる老舖しにせなどのある、古い家竝みの間をいいかげん歩いて、殆どもうその宿を出はづれようとしたとき、一軒、それを見るなり矢張あつたな、とおもつたやうな
炉辺 (旧字旧仮名) / 堀辰雄(著)
下町の老舖しにせの箱入娘や、廓の内所で育った娘なんかによくあんなのがある。
魔都 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
自分の家の近くには深山といふ茶の老舖しにせがあつて、そこから來るものは日頃わたしの口に適してゐるので、試みに買置きの深山を混ぜて見た。どうだらう、實に良い風味がそこから浮んで來た。
桃の雫 (旧字旧仮名) / 島崎藤村(著)
これが所夫をつとあふがれぬべくさだまりたるは天下てんか果報くわはう一人ひとりじめ前生ぜんしやう功徳くどくいかばかみたるにかとにもひとにもうらやまるゝはさしなみの隣町となりまち同商中どうしやうちゆう老舖しにせられし松澤儀右衞門まつざはぎゑもん一人息子ひとりむすこ芳之助よしのすけばるゝ優男やさをとこ
別れ霜 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
「まア、物のたとへで、——その女の子に惚れた野郎といふのは、——日本橋の呉服町に井筒屋といふ老舖しにせ太物屋ふとものやのあることは親分も御存じですね」
ときなるかな松澤まつざははさるとし商法上しやうはふじやう都合つがふ新田につたより一時いちじれし二千許にせんばかりかねことしはすで期限きげんながら一兩年いちりやうねんひきつゞきての不景氣ふけいき流石さすが老舖しにせ手元てもとゆたかならずこと織元おりもとそのほかにも仕拂しはらふべきかねいとおほければ新田につた親族しんぞく間柄あひだがらなりかつ是迄これまでかたよりたてかへしぶんすくなからねばよもや事情じじやううちあけて延期えんき
別れ霜 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
そこから表通りの要屋——海道筋の老舖しにせで、代々質兩替をやつてゐる店までは、ほんの一と走りだつたのです。
本所御船藏前の常陸屋といふのは、その頃水府の煙草を一手にさばいた老舖しにせで、江戸中にも知られた店ですが、殺されたといふ主人の久左衞門はその時五十八歳。
紋次郎は黒江町の呉服屋——山城屋の一人息子で、山城屋は番頭小僧の七八人も使つてゐる老舖しにせでした。
かつては向柳原の大きな雜穀問屋で、三四代續いた老舖しにせでしたが、主人の新兵衞がお今といふ女房があるのに、水本賀奈女かなめに夢中になり、一年ばかり一緒に住んでゐるうちに
界隈の老舖しにせで、古めかしく大きな家ですが、油、紅、白粉から、一切の化粧品、香料など賣つた油屋も、時世に遲れ勝ちで、何となくさびれて見えるのは是非もないことでした。
銭形平次捕物控:050 碁敵 (旧字旧仮名) / 野村胡堂(著)
老舖しにせの佛具店で、袈裟けさ法衣ころも、佛壇佛像から、大は釣鐘までも扱ひ、その上、役僧達の金融きんゆうから、上野出入りの商人の取次まで引受けて、巨萬の身上を作つた下谷一番の大町人でした。