男山おとこやま)” の例文
よど川尻かわじりで舟に乗った生絹は、右に生駒いこまの山、男山おとこやまを見、左に天王山てんのうざんをのぞんだ。男山のふもと、橋本のあたりで舟は桂川かつらがわに入って行った。
荻吹く歌 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
そうなると、男山おとこやま、金峯山、女山おんなやま、甲武信が岳などの山々が残りなくあらわれて、遠くその間を流れるのが千曲川の源なのです。
力餅 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
そして直義ただよし男山おとこやまに陣し、師直は河内へ入って東条を突き、また師泰は和泉へ攻め入る戦法とか。——これはゆゆしい。和泉のお味方はほとんど手薄だ。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それからこれは人間にんげんちからだけにはおよばない、神様かみさまのおちからをもおりしなければならないというので、頼光らいこう保昌ほうしょう男山おとこやま八幡宮はちまんぐうに、つな公時きんとき住吉すみよし明神みょうじん
大江山 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
すいほど迷う道多くて自分ながら思い分たず、うろ/\するうち日はたち愈〻いよいよとなり、義経袴よしつねばかま男山おとこやま八幡はちまんの守りくけ込んでおろかなとわらい片頬かたほしかられし昨日きのうの声はまだ耳に残るに、今
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
その時宮の前のれんじの木に、男山おとこやまのほうから山ばとが三羽飛んできてあやしい声で鳴きつつらい合いをはじめました。それがいかにもしつこく、憎み合っているように、長い長い間。
俊寛 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
長州藩の家老山県やまがた九郎右衛門、後に男山おとこやま八幡の宮司ぐうじをしてゐた人の落魄してゐたのを引取つて、世話をしてゐたし、んなに、ぴい/\してゐても、痩我慢一つで、押通してゐた。
後白河院の後楯うしろだてがあるものの、どうも形勢不利とみて、この上は、天の助けにすがるよりほかはないと思い立った成親は、男山おとこやま石清水八幡宮いわしみずはちまんぐうに、百人の坊主を頼んで、七日間、大般若経だいはんにゃきょう
岸の上では群衆ぐんじゅが俄にどよめいた。天狗か何か知らないが、化鳥けちょうがつばさを張ったようなひとむらの黒雲が今度は男山おとこやまの方から湧き出して、飛んでゆくように日の前をかすめて通ったのである。
玉藻の前 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
みんなはあの三にんのおじいさんは、住吉すみよし明神みょうじんさまと、熊野くまの権現ごんげんさまと、男山おとこやま八幡はちまんさまがかり姿すがたをおあらわしになったものであることをはじめてって、不思議ふしぎおもいながら
大江山 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
直義ただよしとは、山崎でおちあった。——都入りのこまかな軍議をとげたのである。——そのうえで、直義らの洛中攻めは、二十九日から開始され、尊氏は本陣を、八幡やわた男山おとこやまの上においた。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
男山おとこやま金峯山きんぶざん女山おんなやま甲武信岳こぶしがたけ、などの山々も残りなく顕れました。遠くその間を流れるのが千曲川の源、かすかに見えるのが川上の村落です。千曲川は朝日をうけて白く光りました——
千曲川のスケッチ (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
雨乞いならば八大はちだい龍王を頼みまいらすべきに、壇の四方にぬさをささげて、南に男山おとこやましょう八幡大菩薩、北には加茂大明神、天満天神、西東には稲荷、祇園、松尾、大原野の神々を勧請かんじょうし奉ること
玉藻の前 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
しかも、この優勢に加えて、顕家の弟、北畠顕信あきのぶもまた、男山おとこやまに進出していた。その男山八幡の上からは洛内の屋根も見える。「官務記」がしるしたことも、あながち誇張ではなかったろう。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
男山おとこやま