浄瑠璃じやうるり)” の例文
旧字:淨瑠璃
この婆さんの身を投げて死んだ池はいまだに浅草寺せんさうじ境内けいだいに「うばの池」となつて残つてゐる、——大体かう云ふ浄瑠璃じやうるりである。
(新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
思はず寒さに胴顫どうぶるひすると同時に長吉ちやうきち咽喉のどの奥から、今までは記憶きおくしてゐるとも心付こゝろづかずにゐた浄瑠璃じやうるり一節いつせつがわれ知らずに流れ出るのにおどろいた。
すみだ川 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
泣いたり、口説いたり、何のこツたらう。浄瑠璃じやうるりのさはりとなると頭痛がします。しかし、敵役かたきやくの中でも石川五右衛門は甚だ嫌ひですな。熊坂長範の方が好い。
いろ扱ひ (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
而して其由来する所は、浄瑠璃じやうるりの朗誦法に帰すべく、かつは又た我邦言語の母韻に終る事情にも帰すべしと雖、しよくとして整合の、余りに厳格なるに因せずとせんや。
劇詩の前途如何 (新字旧仮名) / 北村透谷(著)
をとこ自分じぶんのかたる浄瑠璃じやうるりに、さもじやうがうつったやうな身振みぶりをして人形にんぎやうをつかつてゐました。
桜さく島:見知らぬ世界 (新字旧仮名) / 竹久夢二(著)
五ツの座敷ブチ抜きたる大筵席だいえんせきは既に入り乱れて盃盤はいばん狼藉らうぜき、歌ふもあればねるもあり、腕をして高論するもの、を擁して喃語なんごするもの、彼方かなたに調子外れの浄瑠璃じやうるりに合はして
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
次にはうろ覚えの浄瑠璃じやうるりを節廻しおもしろう声色こわいろで語つて室長の機嫌きげんをとつた。
途上 (新字旧仮名) / 嘉村礒多(著)
おぶさつたりした私の幼時の姉、又は皆んなでカルタ遊びをした私の少年時代の姉、それからずつと大きくなつて、既に戯曲や小説に読み耽るやうになつた頃、誘ひ合せて浄瑠璃じやうるりなど聞きに行つた頃
町の踊り場 (新字旧仮名) / 徳田秋声(著)
ゑんじゆと云ふ樹の名前を覚えたのは「石の枕」と云ふ一中節いつちうぶし浄瑠璃じやうるりを聞いた時だつたであらう。僕は勿論一中節などを稽古するほど通人つうじんではない。
(新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
口三味線くちさみせん浄瑠璃じやうるりには飛石とびいしづたひにちかづいてくるのを、すぐわたしどもはきヽつけました。五十三つぎ絵双六ゑすごろくをなげだして、障子しやうじ細目ほそめにあけたあねたもとのしたからそつと外面とのもをみました。
桜さく島:見知らぬ世界 (新字旧仮名) / 竹久夢二(著)
家の前の往来わうらいには人が二三人も立止たちどまつてなかなる稽古けいこ浄瑠璃じやうるりを聞いてゐた。
すみだ川 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
九重ここのへの雲の中にいらせられる御一人さへ不思議にも近松の浄瑠璃じやうるりを愛読し給うた。それは近松の出身によるか、或は又市井の出来事に好奇心を持たれた為かも知れない。
竹本たけもと」や「常磐津ときはづ」を初めすべての浄瑠璃じやうるりは立派に複雑な感激をあらはして居るけれど、「音楽」から見れば歌曲と云はうよりは楽器を用ゐる朗読詩とも云ふべく、咄嗟とつさの感情に訴へるにはひやゝか過ぎる。
黄昏の地中海 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
しかしうたひ浄瑠璃じやうるりにある通り、不毛の孤島に取り残された儘、しかもなほ悠悠たる、偉い俊寛を考へられぬではない。唯この巨鱗きよりんとらへる事は、現在の僕には出来ぬのである。
澄江堂雑記 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
唯近松の浄瑠璃じやうるりを見れば、近松は決して理想主義者ではない。理想主義者では——理想主義者とは一体何であらう? 西鶴は文芸上の写実主義者である。同時に又人生観上の現実主義者である。