楠公なんこう)” の例文
……数百年まえの楠公なんこう父子が、われわれ如き末世まつせのやくざを、救うてくれたかと考えると不思議なここちに打たれます
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
仮りに楠公なんこうの意気をもって立つような人がこの徳川の末の代に起こって来て、往時の足利あしかが氏をつように現在の徳川氏に当たるものがあるとしても
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
おれは忠臣蔵の芝居を見て泣いたという者がある、楠公なんこうの写し絵を見て、急に親孝行になった者もあると言い出す。
大菩薩峠:24 流転の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
誠吾は、何の苦もなく、神戸の宿屋から、楠公なんこう神社やら、手当り次第に話題を開拓して行った。そうして、その中に自然令嬢の演ずべき役割を拵えた。
それから (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
その報をきいてかけ付けた門弟たちは、師の病体からだを神戸にうつすと同時に「楠公なんこう父子桜井の訣別けつべつ」という、川上一門の手馴てなれた史劇を土地の大黒座で開演した。
マダム貞奴 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
楠公なんこうへでも行くべしとて出立いでたたんとせしがまてしばし余は名古屋にて一泊すれども岡崎氏は直行なれば手荷物はやはり別にすべしとて再び切符の切り換えを求む。
東上記 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
雅家まさいえ北畠きたばたけと号す——北畠親房きたばたけちかふさその子顕家あきいえ顕信あきのぶ顕能あきよしの三子と共に南朝なんちょう無二の忠臣ちゅうしん楠公なんこう父子と比肩ひけんすべきもの、神皇正統記じんのうしょうとうきあらわして皇国こうこくの正統をあきらかにす
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
別に当もない私は、途中下車の切符を大事にしまうと、楠公なんこうさんの方へブラブラ歩いて行ってみた。
新版 放浪記 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
茶山・山陽の勤王詠史きんのうえいし等の諸詩文、分けて山陽「楠公なんこう墓下の詩」などにて、日々二子と米舂こめつき、畑うちの片手にみずからこれを誦し、またその二子(松陰兄弟なり)に誦せしめたり。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
芳年は王政復古の思想に迎合すべく菅公かんこう楠公なんこう等の歴史画をいだして自家の地位を上げたり。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
楠公なんこうにもこんな話しがある」と甲斐はゆっくりと続けた、「兵庫の湊川みなとがわで、足利あしかが勢と決戦するまえに、正成まさしげはやはり禅僧それがしを訪ねて、生死関頭を訊いた、禅僧それがしは、 ...
「わかったとも、大わかりだ、」と楠公なんこうやしろに建てられて、ポーツマウス一件のために神戸こうべ市中をひきずられたという何侯爵なんのこうしゃくの銅像を作った名誉の彫刻家が、子供のようにわめいた。
号外 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
ウィリヤム・テルの如き代表者の上に不朽なる気禀きひんをあらはし、忠節にれる時代には楠公なんこうの如き、はた岳飛、張巡の徒の如き、忠義の精気にちたる歴史的の人物を生ずるに至るなり。
徳川氏時代の平民的理想 (新字旧仮名) / 北村透谷(著)
それはある夜同室にまくらをならべて眠りにつきながらの話に、ワシントンと楠正成くすのきまさしげとの比較論が始まり、僕が楠公なんこうを愛国者と称したのを、彼はこれを訂正し、楠公なんこうは愛国者でなく忠臣だといった。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
宮城前なる馬場先門ばばさきもん楠公なんこう銅像についてお話しましょう。
「——では、次なる芸当差し替えてご覧に入れまする。楠公なんこう父子は桜井の子別れ。右なる雄ぐまは正成まさしげ公。左の雌ぐまは小楠公。そら、あのとおり、ここもとしばらくの間は、忠臣孝子別れの涙にむせぶの体とござい」
一、丸の内の楠公なんこうの像
病牀六尺 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
楠公なんこう湊川みなとがわで、願くは七たび人間に生れて朝敵をほろぼさんと云いながら刺しちがえて死んだのは一例であります。
文芸の哲学的基礎 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
「偉い! 楠公なんこう以上、赤穂義士以上、比翼塚ひよくづかを立てろ!」というようなことになるのであります。
大菩薩峠:14 お銀様の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
(はからずも、河内の一院で、楠公なんこう神牌しんぱいを拝しました。それには贈三位左中将ぞうさんみさちゅうじょうとございました)
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
古来英雄と称するものは大抵たいてい奸雄かんゆう梟雄きょうゆう、悪雄の類である、ぼくはこれらの英雄を憎む、それと同時に鎌足かまたりのごとき、楠公なんこうのごとき、孔子こうしのごとき、キリストのごとき
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
追い追いの文明開化の風の吹き回しから人心うたた浮薄に流れて来たとのなげきを抱き、はなはだしきは楠公なんこう権助ごんすけに比するほどの偶像破壊者があらわれるに至ったと考え
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
よすもよさぬも各人思いのままにしてよい事であるのに、満洲占領の頃から百貨店やカフェーの店頭に神功じんぐう皇后や楠公なんこうの人形が飾り出されて旧習復興の有様を呈するようになった。
仮寐の夢 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
それから楠公なんこうの像を製作した話へ移りましょう。
「驚きましたねえ。この山上の二代目の先祖は楠家くすのきけから養子に来ていますよ。毎年正月には楠公なんこうの肖像を床の間に掛けて、鏡餅かがみもち神酒みきを供えるというじゃありませんか。」
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
大日本史を編んだり、楠公なんこうの碑をたてたり、また、いやに農民におべっかをつかって、下に親しむように見せかけるのが水戸の家風だ。その実、家中は党を立てて血で血を洗っている。
大菩薩峠:37 恐山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
国賊と呼ばねばならぬ不心得者でもあるなれば知らぬこと——と、そう自分をひろく大きく考え直させてくれたものも、実は、楠公なんこうのご精神が、ふと、咄嗟とっさに胸にひらめいたからであった。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その傾向を押し進め、国家無窮の恩に報いることを念とし、楠公なんこう父子ですら果たそうとして果たし得なかった武将の夢を実現しようとしているものが、今の攘夷を旗じるしにする討幕運動である。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)