松戸まつど)” の例文
葬式とむらひをしたのは五ねんばかりまへで、お正月しやうぐわつもまださむ時分じぶんでした。松戸まつど陣前ぢんまへにゐる田村たむらといふ百姓家しやうやひとがお葬式とむらひをしてくれたんで御在ございますが……。
吾妻橋 (新字旧仮名) / 永井荷風永井壮吉(著)
この人は下総しもうさ松戸まつどの先の馬橋まばし村という所の者で、私より六ツほど年長、やっぱり年季を勤め上げて、師匠との関係はまことに深いのでありましたが、どういうものか
松戸まつどの工兵学校は、もう仕事を終えている頃ですから、直ぐ応援して貰ってはどうです」
空襲葬送曲 (新字新仮名) / 海野十三(著)
下総の松戸まつどわきに、戸ヶ崎とがさき村と申す処がございまして、其処そこに小僧弁天というのがありまするが、ういう訳で小僧弁天と申しますか、あえて弁天様が小さいという訳でもなし
真景累ヶ淵 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
いやあ、歩かなくちゃいけないんだ、歩こう歩こう。小金から松戸まつどへ二里だっていった。松戸から葛西かさい、千住まで四里。そうすると、あす中に親方の処まで行けるぞ。(食べ始める)
一本刀土俵入 二幕五場 (新字新仮名) / 長谷川伸(著)
左、松戸まつど——。
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
道子みちこはふと松戸まつどてらはうむられた母親はゝおやことおもおこした。その当時たうじ小岩こいはさかはたらいてゐたゝめ、主人持しゆじんもち自由じいうがきかず、ひまもらつてやつと葬式とむらひつたばかり。
吾妻橋 (新字旧仮名) / 永井荷風永井壮吉(著)
その市川の草原には、松戸まつど工兵学校や、千葉鉄道聯隊や、世田せた自動車隊が、一夜のうちに急造した電灯装置ばかりの偽東京が、影も形もないほど、爆撃しつくされてあった。
空襲葬送曲 (新字新仮名) / 海野十三(著)
すぐに墓場から駈落かけおちをして、其の晩は遅いから松戸まつどへ泊り、翌日宿屋を立って、あれから古賀崎こがざきどてへかゝり、流山から花輪村はなわむら鰭ヶ崎ひれがさきへ出て、鰭ヶ崎のわたしを越えて水街道みずかいどうへかゝり
真景累ヶ淵 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
道子みちこ上野うへのから省線電車しやうせんでんしや松戸まつどえきりたが、てらだけは思出おもひだすことができたものゝ、その場処ばしよまつたわすれてゐるので、駅前えきまへにゐるりんタクをんでそれにつてくと
吾妻橋 (新字旧仮名) / 永井荷風永井壮吉(著)
貴隊は松戸まつど附近より、東京の北東部にでて、まず環状線道路及び新宿駅を爆撃破壊したる後、東京市北部及び西部の繁華なる市街地に対し瓦斯弾攻撃を行い、住民をして恐怖せしめ擾乱じょうらん
空襲警報 (新字新仮名) / 海野十三(著)
市川新田いちかわしんでん八幡やわた船橋ふなばし国分村こくぶむら小松川こまつがわ松戸まつど辺から買いに来ます。