末子ばっし)” の例文
赤い碁盤縞ごばんじまのフロックを着た先生の末子ばっし愛想あいそに出て来たが、うっかり放屁ほうひしたので、学生がドッと笑い出した。其子が泣き出した。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
将楽しょうらく県の李誕りたんという者の家には男の子が一人もなくて、女の子ばかりが六人ともにつつがなく成長し、末子ばっしの名をといった。
積年の病ついに医するあたわず、末子ばっし千秋ちあき出生しゅっしょうと同時に、人事不省におちいりて終にたず、三十六歳を一期いちごとして、そのままながの別れとなりぬ。
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
おもながの、気品の高い相貌そうぼうで、いかにも政宗の末子ばっしらしく、その眉間びかんには威厳のあるするどさと、ねばり強い剛毅な性格があらわれていた。
末子ばっしのチンコッきりおじさんが家督をついだ時分には、もうそんな、放蕩児ほうとうじなぞ気にかけていられない世のせわしさだった。
末子ばっしで独身のボヘミアンの彼は日本という海図上の一列島に何らの執着をも感じ得なかった。十一浬四分一ノット・クオタア汽力スチイムで船は土佐沖に差掛っているらしかった。
上海された男 (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
勝頼かつより末子ばっし伊那丸いなまるが、まだ快川かいせんのふところにかくまわれているという事実をかぎつけて、いちはやく本陣へ急報したため、すわ、それがしてはと、二千の軍兵ぐんぴょう砂塵さじんをまいて
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
信州諏訪湖すわこの附近の例は、目下もっか中川・塩田の二君が調査しておられるが、是も手順はまったく同じで、ただ最後の末子ばっしが家に留まり、そのまま住宅を相続した点がちがうのである。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
兄弟五人、総領の兄の次に女の子が三人、私は末子ばっし。私の生れたのは天保五年十二月十二日、父四十三歳、母三十一歳の時の誕生です。ソレカラ天保七年六月、父が不幸にして病死。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
伊豆いずの国には流人るにん前右兵衛佐頼朝さきのうひょうえのすけよりとも常陸ひたちには信太三郎先生義憲しだのさぶろうせんじょうよしのり佐竹冠者昌義さたけのかんじゃまさよし、その子の太郎忠義、三郎義宗、四郎高義、五郎義季、陸奥には故左馬頭義朝さまのかみよしとも末子ばっし九郎冠者義経くろうかんじゃよしつねなど。
ようよう六歳になる末子ばっしの初五郎は、これも黙って役人の顔を見たが、「お前はどうじゃ、死ぬるのか」と問われて、活発にかぶりを振った。書院の人々は覚えず、それを見てほほえんだ。
最後の一句 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
一人の末子ばっし対手あいてに一人の老僕に家事を任かして。
富岡先生 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
「うん、佐馬頭義朝さまのかみよしとも末子ばっしだ。おまえはだれだ。」
牛若と弁慶 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
五人の子のうちで末子ばっしは姿も心もすぐれていて、この子が生まれてからは、その家がだんだんに都合がよくなって、百姓仕事も繁栄にむかい、家計もいよいよ豊かになったので
杯をグイと干して、大夫さんの命に従い一番好いた人に上げます、ソレたかさん、といって杯をさしたのは、六、七歳ばかりの寺の末子ばっしで、私が瀉蛙々々しゃあしゃあとしてわらって居たから家老殿も興にならぬ。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
「秀次。おもとはな、兵をまとめて、明日から大垣の留守番にゆけ。大垣の家中は傷手いたでも多く、残った老母や女房どものほか、三左衛門輝政てるまさと、末子ばっし長吉ながよしだけでは、守備もさびしかろうほどに」
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
祐道が長男で、その次に女ひとり、男ひとり、お近は末子ばっしの四人兄妹きょうだいであったが、幼年のころに両親に死に別れて、皆それぞれ艱苦かんくめた。なかの男と女は早く死んで、祐道とお近だけが残った。
半七捕物帳:69 白蝶怪 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)