日蓮にちれん)” の例文
「宗教なんてものにろくなものは無い、そんなものを信じる奴は馬鹿ばかりだ、天理教だの日蓮にちれん宗だの耶蘇やそ教だのみんなきちがいのやることだ」
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
正式の寸法の割合として、たとえば坐像二尺の日蓮にちれん上人、一丈の仁王におうと木寄せをして仏師へ渡します。結局つまり、仏師が彫るまでの献立こんだてをする役です。
「たとえばだよ、おまえの宗旨しゅうし法華ほっけだそうだが、おまえが艱難かんなんとうとするときは、日蓮にちれんのつよい意志を思い出して、自分の意志を励まそうとするだろう」
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
キリストもシャカも老子ろうし孔子こうし空海くうかい日蓮にちれん道元どうげん親鸞しんらんもガンジイも歩いた。ダヴィンチも杜甫とほ芭蕉ばしょうも歩いた。科学者たちや医者たちも皆よく歩いています。
歩くこと (新字新仮名) / 三好十郎(著)
もう年数ねんすうもよほどっていますし、それに私にはそれほど興味のない事ですから、判然はんぜんとは覚えていませんが、何でもそこは日蓮にちれんの生れた村だとかいう話でした。
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
この寺は——慈眼寺じげんじといふ日蓮にちれん宗の寺は震災よりも何年か前に染井そめゐ墓地ぼちのあたりに移転してゐる。
本所両国 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
私の家では代々の法華宗ほっけしゅうで、ことにも私の代になりましてから、深く日蓮にちれん様に帰依きえつかまつって、朝夕南無妙法蓮華経なむみょうほうれんげきょうのお題目を怠らず、娘にもそのように仕込んでありますので
新釈諸国噺 (新字新仮名) / 太宰治(著)
もしも私が日蓮にちれんほどの偉物えらぶつであったなら、きっと私は、草木を本尊ほんぞんとする宗教を樹立じゅりつしてみせることができると思っている。私は今草木くさき無駄むだらすことをようしなくなった。
植物知識 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
故に妙法蓮華經めうほふれんげきやうなづく。日蓮にちれん又日月と蓮華との如くなり。信心の水すまば利生の月必ずおうれ、守護し給べし。とくとくうまれ候べし。法華經云如是妙法ほけきやうにいはくによぜめうほふまたいはく安樂産福子云々あんらくさんふくしうんぬん
鳴雪めいせつ翁より贈られたるは柴又しばまた帝釈天たいしゃくてんの掛図である。この図は日蓮にちれんが病中に枕元に現はれたといふ帝釈天の姿をそのまま写したもので、特に病気平癒へいゆには縁故があるといふて贈られたのである。
病牀六尺 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
芭蕉は真宗でいえば親鸞聖人しんらんしょうにん日蓮にちれん宗でいえば日蓮上人(6)
俳句とはどんなものか (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
老荘や道教や禅や真言、それから道元どうげん日蓮にちれん親鸞しんらんなどのメトーデ、それから茶道の歴史上にあらわれている巨大な師匠たちの様式など、その、代表的なものでありましょう。
抵抗のよりどころ (新字新仮名) / 三好十郎(著)
鹿野山かのうざんという山一つ越せば、日蓮にちれん誕生寺たんじょうじで知られた小湊こみなとへ出られることをも知りました。
力餅 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
それでも彼等の夢に見える、大日如来の姿のうちには、印度ぶつ面影おもかげよりも、大日孁貴がうかがわれはしないでしょうか? わたし親鸞しんらん日蓮にちれんと一しょに、沙羅双樹さらそうじゅの花の陰も歩いています。
神神の微笑 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
……始めて海鼠なまこを食いいだせる人は其胆力に於て敬すべく、始めて河豚ふぐきつせるおとこは其勇気において重んずべし。海鼠をくらえるものは親鸞しんらんの再来にして、河豚ふぐを喫せるものは日蓮にちれんの分身なり。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
日蓮にちれんが青年時代を送ったという清澄山きよすみやままでは行きませんでした。
力餅 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)