憧憬しょうけい)” の例文
自然がその奥深く秘めた神秘への人間の憧憬しょうけいの心が科学の心である。現代の科学は余りにもその最も悪い一面のみが抽出ちゅうしゅつされている。
原子爆弾雑話 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
あゆがうまいという話は、味覚にあこがれを持ちながら、自由に食うことのできない貧乏書生などにとっては、絶えざる憧憬しょうけいの的である。
鮎の試食時代 (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
純粋なるものに憧憬しょうけいせしめ、もって明朗なる人間性を養い、道理の弁別について過たず、よく自己の行為を反省せしむるに足るものです。
余はとくに歓楽に憧憬しょうけいする若い男や若い女が、読み苦しいのを我慢して、此「土」を読む勇気を鼓舞する事を希望するのである。
しないから邪魔にならぬからというのが果して春琴の真意であったか佐助の憧憬しょうけいの一念がおぼろげに通じて子供ながらもそれを
春琴抄 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
かつて書籍で読み詩で読んだ思想と憧憬しょうけい、それはまだ空想であった。自己のまわりを見回しても、そんなことを口にするものは一人もなかった。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
換言すれば、詩人蕪村の魂が咏嘆えいたんし、憧憬しょうけいし、永久に思慕したイデアの内容、即ち彼のポエジイの実体は何だろうか。
郷愁の詩人 与謝蕪村 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
これと共に公衆の俳優に対する愛情もまたその性質を変じて、たとへば武道荒事あらごとの役者に対してはさなが真個しんこの英雄を崇拝憧憬しょうけいするが如きものとなれり。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
あの神に対する憧憬しょうけいを切々たる恋情中に含めている——まさに世界最大の恋愛文章だが、それには、愛する者の心を、虹になぞらえて詠っているのだ。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
しばらくのハノーヴァ滞在の後、ヘンデルは早くから憧憬しょうけいの的であったイギリスに向った。二十五歳の秋である。
楽聖物語 (新字新仮名) / 野村胡堂野村あらえびす(著)
人間の運命に対して曇らざる眼をもち、魂の自由に向って悩ましい憧憬しょうけいを懐く民族ならずしては媚態をして「いき」の様態を取らしむることはできない。
「いき」の構造 (新字新仮名) / 九鬼周造(著)
黒子ほくろのような、青いちいさい入墨が、それを入れたとき握合った女とのなかについて、お島に異様な憧憬しょうけいをそそった。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
未来のうちへ尋ね入る憧憬しょうけい、ひとは青い花を求めて限りなくさまよひ、そして決して目的に達することがない。
ゲーテに於ける自然と歴史 (新字旧仮名) / 三木清(著)
兄でもうやまうようにもてなして、やや落ち付いてから隠し立てなく真率に葉子に対する自分の憧憬しょうけいのほどを打ち明けたので、木村は自分のいおうとする告白を
或る女:1(前編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
後期仏教の西方浄土さいほうじょうどとは対立して、対岸大陸にははやくから、東方を憧憬しょうけいする民間信仰が普及していた。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
四季を憧憬しょうけいし花鳥を称讃するのは陳腐な思想をくりかえして居るように見えるが、そうではなくその内に一歩々々新しい境地を見出しつつあることに気づくであろう。
俳句への道 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
少女は一人すべて路傍のものにまでのはげしい憧憬しょうけいや熱愛のために、湧きかえるような心を抱いて道を歩いた。彼女はやがて大通りの大きな本屋に元気よく飛び込んだ。
咲いてゆく花 (新字新仮名) / 素木しづ(著)
たとえばそれを故のない淡い憧憬しょうけいと言ったふうの気持、と名づけてみようか。誰かが「そうじゃないか」と尋ねてくれたとすれば彼はその名づけ方に賛成したかもしれない。
城のある町にて (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)
私は今ひとりここに立ってこのように憧れてるのに彼女はなぜはやくきて私を抱いてくれないのであろう。古い憧憬しょうけい蓮華れんげは清らかな光にあってふたたび花びらをひらいた。
島守 (新字新仮名) / 中勘助(著)
芭蕉ほどの名人がその晩年に於いてやっと予感し、憧憬しょうけいしたその最上位の心境に僕たちが、いつのまにやら自然に到達しているとは、誇らじとほっするもあたわずというところだ。
パンドラの匣 (新字新仮名) / 太宰治(著)
人の生まるるはじゅくして死するためなれば、幼少青年時代は準備じゅんびの時代で、人生の目的時代はその後に存すると知れば、青年時代の活気を憧憬しょうけいするはちょうを花を楽しむに異ならない。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
一生行ったこともない大和の高円や佐保川を、古歌を通して憧憬しょうけいしているのである。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
未知の世界に寄せて来た彼のつよい憧憬しょうけいは、想像以上な地上の展開に酬いられた。
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
僕達がこうして自然に憧憬しょうけいして此処ここを歩いているね。
兄妹 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
これを形容して、よく西洋人などの云う口調を借りて申しますと、無限の憧憬しょうけい(infinite longing)とかになるのでしょう。
創作家の態度 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
けれども、妙にこの像面では鼻の円みと調和していて、それが、とろけ去るような処女の憧憬しょうけいを現わしていた。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
彼女の憧憬しょうけいの的となっていたコレット女史を逆で行ったようなちまたの生活が発展しそうに見えた。
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
楽劇「ペレアスとメリザンド」は、我らにとって、どんなに熱烈な憧憬しょうけいであったか、文献だけでこの曲を知っていた、二十年前の好楽家達の、優しい思い出の一つであろう。
楽聖物語 (新字新仮名) / 野村胡堂野村あらえびす(著)
そして彼女の心のなかの憧憬しょうけいが、あふれるようになった時、悲哀が彼女を涙ぐませる程にいつか一ぱいになってしまってた。何を思うのでもない。そしてまた何をかなしむのでもない。
咲いてゆく花 (新字新仮名) / 素木しづ(著)
トルストイやゲーテのように、中年期を過ぎてまでも、プラトニックな恋愛を憧憬しょうけいしたり、モノマニアの理想に妄執もうしゅうしたりするような人間は、すくなくとも僕らの周囲にはあまりいない。
老年と人生 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
時世じせいの言わせる一種の強味と憧憬しょうけいとがあらわれて、く人の心を動かした。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
ドイツ国民全体の明るい南に対する悩ましい憧憬しょうけいである。
「いき」の構造 (新字新仮名) / 九鬼周造(著)
寒月君などもそんなに憧憬しょうけいしたり惝怳しょうきょうしたりひとりでむずかしがらないで、とくと気を落ちつけてたまるがいいよ
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
現実にいつも美しい薄もののベイルをかけて見ている葉子の目には、自身の幻影が、いつも反射的に、自身に対するあらゆる異性の目が、憧憬しょうけいと讃美に燃えているように見えた。
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
そして、男性に対する絶望的な憧憬しょうけいと、強い羨望の心が少女を苦しませた。
咲いてゆく花 (新字新仮名) / 素木しづ(著)
私は三番目のバラードにいつでも憧憬しょうけいと愛着をさえ感じているほどである。
楽聖物語 (新字新仮名) / 野村胡堂野村あらえびす(著)
平安朝の文化に対して、蕪村は特殊の懐古的憧憬しょうけいと郷愁とを持っていた。
郷愁の詩人 与謝蕪村 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
庸三は悒鬱じじむさい自分の恋愛とは違って、彼らの恋愛をすばらしく絢爛けんらんたるものに評価し、ひそかに憧憬しょうけいを寄せていたのだったが、合理的な清川のやり口の手堅さを知ることができたと同時に
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
銀子は倉持をしぼる気はなく、お神が決めたもの以上に強請ねだるのでもなく、未婚の男でこれと思うようなものも、めったにないので、千葉で挫折しくじった結婚生活への憧憬しょうけいが、倉持の純情を対象として
縮図 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)