恩顧おんこ)” の例文
宗治は遠く岩崎山のほうへ向って、心のうちでは多年の恩顧おんこを謝し、なつかしの主家の旗を見ては、ひとみに惜別せきべつをこめていた。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ですから、このさい、ことに上杉家から来ておるわれわれは、御家老千阪様の恩顧おんこに報いるためにも、ああして一同、夜を
口笛を吹く武士 (新字新仮名) / 林不忘(著)
召使一同厳重に取調べられたが、一人も疑わしい者はなかった、皆永年ながねん玉村家の恩顧おんこを受けたものばかりであった。
魔術師 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
彼女は自分の夫が、平生から一方ひとかたならぬ恩顧おんこを受けている勢力家の妻君として、今その人の前に、あたかぎりの愛嬌あいきょうと礼儀とを示さなければならなかった。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
まかり間違へば、一方ならぬ恩顧おんこかうむつた笹野一家に、拭ふことの出來ない瑕瑾きずの付く事件ですから、主人新三郎の歸りを便々として待つて居るわけには行きません。
かね恩顧おんこの自分と葛岡はこれを取押えに行ったのだということをまことしやかに話しました。
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
時の関白藤原忠通卿がことばをさげて頼むのである。師道はこれに対して故障をいうべきようもなかった。まして、自分は年来その恩顧おんこを受けている。玉藻を彼に推薦したのも自分である。
玉藻の前 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
かねて城明渡しの際恩顧おんここうむった幕府の目附方へ御礼かたがた、お家の再興を嘆願するために、番頭ばんがしら奥野将監おくのしょうげんと手をたずさえて出府しゅっぷした際、小平太は何物かに後から押されるような気がして
四十八人目 (新字新仮名) / 森田草平(著)
さうした興奮のなかで私はよく、私がこの父から受けた恩顧おんこと、母がこの一家の人々に与へた献身と開発とを、秤にかけて量つた。そして、私にはどうしても、後者の方が重いとしか思へなかつた。
母たち (新字旧仮名) / 神西清(著)
「ほほう、内藤家の鏡氏、いやそれはご名門だ。お噂は兼々かねがね存じております。実は愚老は内藤様ご舎弟、森帯刀様へはお出入り致し、ご恩顧おんここうむっておりますもの、これはこれはさようでござったか」
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
しかもその自然な行為のうちには、故信玄の恩顧おんこに対する厚い情誼じょうぎもあったし、平常、禅林の堕落に対しておしえたい気もちもあったに相違ない。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
本物の野村氏は、多年伯爵の恩顧おんこを受けた清廉潔白の士、犯罪団に引入れられる様な人物ではない。ここにいる秘書官は、野村氏と寸分違わぬ別人に極っている。
猟奇の果 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
その後ブラームスはシューマンの恩顧おんこむくいるためにシューマンの作品や図書の整理をし、さらにシューマンの療養費を得るために、産後のクララを助けて、遠く演奏旅行に上ったりした。
楽聖物語 (新字新仮名) / 野村胡堂野村あらえびす(著)
北条殿九代にわたるご恩顧おんこをおもえば、このさい諸大名が、それぞれの力において、兵糧や銭の徴募に応じるぐらいは、あたりまえなご奉公ではあるまいか
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
せっかくながらわれら元就もとなり公以来恩顧おんこのともがらは、敵に凱歌がいかを売って一日たりと生きのびんなどという者は、匹夫の端に至るまで思いもしておりません。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
織田徳川連合軍おだとくがわれんごうぐんの乱入とともに、まッさきに徳川家にくだって、甲府討入こうふうちいりの手引きをしたのみか、信玄しんげんいらい、恩顧おんこのふかい武田たけだ一族の最期さいごを見すてて
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いまだかつて、彼から高下の差別をうけるような恩顧おんこをうけた覚えもなし、主従の約をしたわけでもない。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「彼らの父袁紹が在世中には、つねにこの遼東を攻略せんと計っていたものである。しかし実現に至らぬうち、自分が敗れ去ったのだ。怨みこそあれ恩顧おんこはない」
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
余りにも認識の足らない大将たちではあると思ったが、その認識不足を補佐することが、多年、恩顧おんこのある入道相国から託された自分の任務であったと思い直して
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
四国、紀州の根来ねごろ雑賀さいが党などの危険分子にまず潰滅かいめつを与えておくために。さらに手近な、美濃や尾張の信雄恩顧おんこの諸将にたいし、利をもってそれを切り崩すために。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それ故に、われわれ董卓恩顧おんこの旧臣が、復讐を計ったのであります。謀叛むほんでは断じてありません。
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
恩顧おんこのある信長に対して義をもって殉じるよりも、なお価値の高い使命が、町人にはべつにある。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
茶屋四郎次郎は平常から家康を将来の人と見て接近し、常に何くれとなくその恩顧おんこもうけていた。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「滝川一益などは、武門の風かみにもおけぬ奴ではある。伊勢の小郷士こごうしより、父の信長に取り立てられ、柴田しばた丹羽にわらと並ぶような地位と恩顧おんこを給わりながら……恩義もわすれて」
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
姫山の黒田宗円がその老骨をひっさげて、自身陣頭の指揮に当ったのみでなく、部下はみな強く、みなよく訓練されており、日頃の恩顧おんこに報うは今ぞと、捨身になって敵へかかった。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
藩祖教景公のりかげこうこのかたここに五代、越前の名門庶流しょりゅう、あわせて三十七同族、世々恩顧おんこのさむらいを養うことも何十万、それがいま、祖先の地を敵兵に蹂躪じゅうりんされ、本城もちんとするのに
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
足利義昭についていれば信長に討たれたろうし、信長に従っていれば秀吉との間はどうなったか知れず、秀吉の恩顧おんこをうけていれば、当然、その後の関ヶ原には、家康にしてやられている。
宮本武蔵:03 水の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その中には、勝家が日頃、あつく目をかけていた恩顧おんこの者どもも幾人かあった。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ただ、彼としても、おそらく遺憾なかろうことは、年来の宿将や家士たちに限っては、彼の恩顧おんこを裏切るなく、まったく捨身奮迅ふんじんの戦いをなし、涙ぐましき主従の義を示していたことだった。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
世間せけんはひろく歩いてみるものだ、——秀吉ひでよしにはにらまれている身の上、家康いえやす恩顧おんこをうけるほかに生き道はないと考えていたら、これは、偶然ぐうぜんとはいえ、ねがってもないことにぶつかったものだ。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
織田家の恩顧おんこむくゆる道もかなうまい——などと専ら聞くのですが
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
官兵衛の兇変きょうへんにつづき、その決死救出組のちかいが結ばれたのを知ると、老いたりといえ、与次右衛門も先代以来の恩顧おんこの臣、ぜひにと、自分も十三人組のなかへ加盟を申し出たが、老人は足手まといと
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)