うつ)” の例文
錦橋は宝暦十二年に広島にうつり、安永六年に大坂に徙り、寛政四年に京都に上り、八年に徳川家斉いへなりの聘を受け、九年に江戸に入つた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
虚栄の念また盛んで馬具で美麗を誇る、故にスペインで不従順な馬を懲らすに荘厳なる頭飾と鈴を取り上げ他の馬にうつし付けると。
系ハ県主稲万侶あがたぬしいねまろヅ。稲万侶ノ後裔こうえい二郎左衛門尉さえもんのじょう直光知多郡鷲津ノ地頭じとうル。よっテ氏トス。数世ノ孫甚左衛門いみな繁光うつツテ今ノむらニ居ル。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
車主エツツリノは顧みて、否、盜人ぬすびとの巣なり、警察のわずらひ絶ゆる間なければとて、一たび市民の半を山のあなたにうつし、その跡へは餘所より移住せしめしことあり
ますます寒威の募るに堪へざりければ、にはか煖炉だんろを調ぜしめて、彼は西洋間にうつりぬ。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
その後蘇武があなぐらの中に幽閉ゆうへいされたとき旃毛せんもうを雪に和してくらいもって飢えをしのいだ話や、ついに北海ほっかい(バイカル湖)のほとり人なき所にうつされて牡羊おひつじが乳を出さば帰るを許さんと言われた話は
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
真宗崩じて後、其きさきにくしみを受け、ほしいままに永定陵を改めたるによって罪をこうむり、且つ宦官かんがん雷允恭らいいんきょうと交通したるを論ぜられ、崖州に遠謫えんたくせられ、数年にして道州にうつされ、致仕して光州に居りてしゅつした。
連環記 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
谷の奥深く、こっそりうつって来た、大胆な種族が9000
神田から台所町へ、台所町から亀沢町へうつされて、さいわいしおれなかった木である。また山内豊覚が遺言いげんして五百に贈った石燈籠いしどうろうがある。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
大正四、五年の頃南岳四谷の旧居を去つて北総市川の里にうつり寒暑昼夜のわかちなく釣魚ちょうぎょを事とせしが大正六年七月十三日白昼江戸川の水に溺れて死せり。人その故を知るものなし。
礫川徜徉記 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
矢島優善やすゆきが隠居させられた時、跡をいだ周禎しゅうてい一家いっけも、この年に弘前へうつったが、その江戸を発する時、三男三蔵さんぞうは江戸にとどまった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
わが父三たび家をうつして、つい燕息えんそくの地を大久保村に卜せられし時、衡門こうもんの傍なる皀莢さいかちの樹陰に茅葺かやぶきの廃屋ありて住むものもなかりしを、折から久斎が老母重き病に伏したりと聞き
礫川徜徉記 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
棠軒は此年福山にうつることを命ぜられ、次年に至つて徙つた。伊沢分家は丸山阿部邸内の蘭軒の旧宅を棄てて去ることになつたのである。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
妙は此妹か。然らば当時徳安改磐安の一家は静岡にうつつてゐたのであらう。是より先「駿州分家」の語は既に日録に見えてゐた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
この一行は夜に入って大阪に着いて、すぐに林が命令して、杉、生駒と両歩兵隊長とを長堀の土佐藩邸にうつらせた。
堺事件 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
抽斎の蔵書は兼て三万五千部あるといわれていたが、この年亀沢町にうつって検すると、既に一万部に満たなかった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
十月二十七日京都を発せさせ給ひ、うるふ十月二日東京なる東伏見宮第に着かせ給ひ、いで有栖川宮第にうつらせ給ふ。能久の名にかへらせたまひ、伏見満宮と称へさせ給ふ。
能久親王年譜 (新字旧仮名) / 森鴎外森林太郎(著)
中氏は昔瓜上うりかみと称し、河内かはちの名族であつた。承応二年和泉国いづみのくに熊取村五門にうつつて、世郷士よゝがうしを以て聞えてゐた。此中氏の分家に江戸本所住の三千六百石の旗本根来ねごろ氏があつた。
津下四郎左衛門 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
七日ゆう、みね、弓太郎、いく般若寺村橋本の家にうつる。上旬中書籍を売りて、金を窮民に施す。十三日竹上署名す。吉見父子平八郎の陰謀を告発せんとはかる。十五日上田署名す。
大塩平八郎 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
一条河原御殿にうつらせ給ふ。親王宣下しんわうせんげありて能久よしひさ名告なのらせ給ふ。法諱公現。
能久親王年譜 (新字旧仮名) / 森鴎外森林太郎(著)
母はこれに臥所ふしどうつして喜んだが、間もなく世を去った。今わたくしが書斎にしているのがこの部屋で、壁は中塗のままである。昔崖の上の小家の台所であった辺が、この部屋の敷地である。
細木香以 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
梶井宮第にうつらせ給ふ。
能久親王年譜 (新字旧仮名) / 森鴎外森林太郎(著)