みなしご)” の例文
此女は八右衛門の歿後に里方法成寺ほじやうじ村の門田氏に帰り、男子なんし一人はみなしごとなつて門田政周せいしうに養はれ、其子儀右衛門政賚せいらいの弟にせられた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
四歳にして父をうしない、二人のみなしごが母を擁して相泣きし時、身をささげて彼らの急を救うた者は叔父のリチャード・ロイドであった。
貧乏物語 (新字新仮名) / 河上肇(著)
一家中という大勢から遊離ゆうりして、一藩の主脳でも一列の主体者でもない、みなしごのごとき一箇の人間として挙止きょしするような姿がまま見られた。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
幼いうちから、みなしごだった私は、その頃は、本郷の叔父のうちに世話になって、——大学へ通っていました。……文科です。
甲乙 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
當時わがいよ/\まことのみなしごになりしをば、まだくも思ひ得ざりしかど、わが穉き心にも、唯だ何となく物悲しかりき。
僕はモウせんからみなしごになってたんだそうでお袋なんかはちっとも覚えがないんですから、僕の子供心に思うことなんざあ、きいてくれる人はなかったんですが、奥さま斗りには
忘れ形見 (新字新仮名) / 若松賤子(著)
ロメーンスの『動物知慧論アニマル・インテリジェンス』に猫が他の猫を養い甚だしきは鼠をすら乳する事を載せ、貝原益軒も猫は邪気多きものだが他の猫のみなしごをも己れの子同様に育つるは博愛だと言った。
千々岩安彦はみなしごなりき。父は鹿児島かごしまの藩士にて、維新の戦争に討死うちじにし、母は安彦が六歳の夏そのころ霍乱かくらんと言いけるコレラにたおれ、六歳の孤児は叔母おば——父の妹の手に引き取られぬ。
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
真に、故主の遺言にこたえ、蜀のみなしごを大事と思わば、なぜ伊尹いいん、周公にならい、その分を守り、自らの非を改め、徳を積み功を治世に計らぬか。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
良安は六歳にして父を失つたみなしごであつたと云ふから、父淳昌じゆんしやうは天保十年に歿したであらう。榛軒詩存に「嘉永五壬子冬月示良安」と云ふ詩がある。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
人に狩り取られて、親がないか、夫がないか、みなしご孀婦やもめ、あわれなのが、そことも分かず彷徨さまよって来たのであろう。人可懐なつかしげにも見えて近々と寄って来る。
黒百合 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
こはわが我執あるにはあらで、人々の我執あるにはあらざるか。そをひるがへりてわれ我執ありといふは、わが人の恩蔭を被りたる貧家のみなしごたるを以てにあらずや。
この時に当たり一人の寡婦と二人のみなしごを一手に引き受け、直ちに彼ら一家の急を救ってくれた人は、すなわちロイド・ジョージの母の弟なるリチャード・ロイドその人である。
貧乏物語 (新字新仮名) / 河上肇(著)
あはれなるみなしごひとり置くべきにあらずとて、迎取られしを喜びしこと、今おもひ出しても口惜くやしきほどなり。
うたかたの記 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
そんな他愛のない、取留とりとめのない、しかも便たよりのないみなしごに、ただ一筋に便らるる、梓はどうして棄てられよう。
湯島詣 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
あなたは一族の宗兄、かつは先帝から、みなしごを託すぞと、親しく遺詔いしょうをうけておられるお方ではないか。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
このみなしごうからにて世にあるものは、今われひとりなり。孤をばわれ引き取りて世話すべし。その代りには、此家に殘りたる物悉くわが方へ受け收むべし。かの盾銀二十は勿論なりといふ。
後はみなしごなる女の年紀とし七歳ななつばかりなるが、大人の穿切はききらしたる草履を引摺ひきずり、ばたばたとけて来て、小石につまずき、前へのめり、しばらくは起きも上らず。
貧民倶楽部 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
そこで中西曾七郎が元氏げんし、名は維寧、あざなは文邦、淡淵と号すと云ふことになつた。淡淵が芋生にあつて徒に授けてゐた時、竹腰氏の家来井上しようみなしご弥六が教を受けた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
不肖、先帝よりみなしごを託すの遺命をうけ、後主のみことのりを奉じていまここに来り、はからずも祖業の跡を踏み、将軍の偉魂に会す。思うに天のめぐり会わせ給うところと信じる。
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
十年ととせばかり前のことなるべし、ここより遠からぬブリョオゼンという村にあわれなるみなしごありけり。
文づかい (新字新仮名) / 森鴎外(著)
つねにみなしごの姜維をそばにおいて、針の運びのあいだに、子の群書を読むを聞き、古今の史を教え、また昼は昼で耕しつつ武芸を励まし、兵馬を学ばせていたということです。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
十年ととせばかり前のことなるべし、ここより遠からぬブリョオゼンといふ村にあはれなるみなしごありけり。
文づかひ (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
先帝みなしごを丞相に託されてより幾日も経ず、恵陵けいりょうの墳墓の土もまだ乾いていない今日ではないか
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「聞け、仲達。汝は、先帝より親しく、みなしごを託すぞとの、畏き遺詔いしょうを承けた者の一人ではないか。何とて、謀叛むほんをたくらむぞ。ここより一歩でも入ってみよ、目にもの見せん」
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
天下のみなしごである。そう意識し直すのだった。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)