“淳昌”の読み方と例文
読み方割合
じゆんしやう100.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
三月二十六日に里開さとびらきをした。公私略に「里開、松川町実家へ行」と云つてある。田中淳昌じゆんしやうの未亡人杉田氏八百の許へ往つたのである。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
良安は六歳にして父を失つたみなしごであつたと云ふから、父淳昌じゆんしやうは天保十年に歿したであらう。榛軒詩存に「嘉永五壬子冬月示良安」と云ふ詩がある。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
他年榛軒の嗣となるべき棠軒淳良たうけんじゆんりやうが、四月十四日に因幡国いなばのくに鳥取の城主松平因幡守斉訓なりみちの医官田中淳昌じゆんしやうの子として生れた。通称は鏐造りうざうである。母の名は八百、杉田玄白のぢよだと、歴世略伝に云つてある。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)