土岐とき)” の例文
当村に鷲津氏なる人あり。もと美濃国みののくにの太守土岐とき美濃守頼芸よりよしの末葉なり。天文てんぶん十一年斎藤氏に侵されこの地に来りちっす。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
と由兵衞がしきりに喋って居ると、向うの四畳半の離れに二人連の客、一人は土岐とき様の藩中でございまして岡山五長太おかやまごちょうだと云う士族さん、酒の上の悪い人
霧陰伊香保湯煙 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
そのうちには、土岐とき弾正少弼だんじょうしょうひつ頼遠よりとお、二階堂下野しもつけノ判官行春などという者がいた。どっちも歴々な武家だった。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そういう時代のある一日——詳しくいえば正中元年八月××日の真昼時に、土岐とき小次郎という若い武士が、洛外嵯峨の草の上に、ボンヤリとして坐っていた。
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
この老人は土岐とき家の後室、本年七十七歳、むかしは奥平藩士の奥様で、武家の礼儀作法を大事に勤めた身であるから、今日の福澤の家風を見て、何分不作法で善くない
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
月の末になると、半蔵は名古屋から土岐とき、大井を経て、二十二里ばかりの道を家の方へ引き返した。帰りには中津川で日が暮れて、あれから馬籠の村の入り口まで三里の夜道を歩いて来た。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
南陽房は美濃の領主土岐とき氏の家老長井豊後守ぶんごのかみの舎弟であった。
梟雄 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
土岐ときさん! 土岐さん、一寸ちょっと……」
白蛇の死 (新字新仮名) / 海野十三(著)
美濃土岐とき多治見たじみ町字片平
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
始め松平まつだひら左近將監酒井さかゐ讃岐守戸田とだ山城守水野みづの和泉守若年寄わかどしよりには水野みづの壹岐守本多ほんだ伊豫守太田おほた備中守松平左京太夫御側御用人には石川いしかは近江守寺社じしや奉行には黒田くろだ豐前守小出こいで信濃守土岐とき丹後守井上ゐのうへ河内守大目附おほめつけには松平相摸守奧津おきつ能登守上田うへだ周防守有馬ありま出羽守町奉行には大岡越前守諏訪すは美濃守御勘定ごかんぢやう奉行には
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
その日まねかれた賓客は当時の列侯中博学を以て推重すいちょうせられた冠山松平定常かんざんまつだいらさだつね土岐とき八十郎、幕府の奥儒者成島東岳なるしまとうがくの養子稼堂かどう、主人述斎の六男林復斎
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
いつか土岐とき子爵がわざわざ来訪されて、僕にはなしてくれたことには、土岐家には沢庵が出羽に流寓中に書いたものらしい槍術の書が伝わっているとのことであった。
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その相手は土岐とき与左衛門と、その一味の浪人組、その数およそ三四十人。
二人町奴 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
老中間部まなべ越前守殿同井上ゐのうへ河内守殿同久世くぜ大和守殿同大久保おほくぼ長門守殿若年寄わかどしより石川近江守殿同黒田豐前守殿同土岐とき丹後守殿なり右の人々ひと/″\立會たちあひ嘉川家一件種々いろ/\評議是ある所土岐丹後守殿進み出られ今度の一條主税之助儀先一おうよろしからぬやうに聞ゆれども又逐電ちくでんせし用人共も合點がてんゆかざる儀なり金子きんす盜取ぬすみとり候罪を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
海部側の安井、土岐ときの二同心も、自分たちが、手を下すにいたらなかったことを同慶どうけいしあって
鳴門秘帖:05 剣山の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
土岐とき小次郎と浮藻うきもであった。
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
決して秀吉を軽んじる気ではないらしいが、土岐とき一族の名門という自尊と、また、実世間の体験や新時代の教養をも兼ね備えた知識人とみずからゆるしている自負が自然
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
中原ちゅうげん土岐とき源氏の旗をひるがえす考えで貯蔵しておいた火薬が、今は、祖先からの城を、一片の焦土に化して、悪鬼あっきのように、人のかばねも、山の木々も、焼き立てているのだった。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
生き残された光秀の生命いのちは、自身のものであって自身のものではない。わしに代って死んだも同様な叔父御の生命もかかっている。また土岐とき源氏の御先祖方の遺命もかかっている。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
光秀の実の親たちは土岐とき一族の名流であったが、早くから両親もく、両親の住んでいた明智城もほろび果てていた。そして叔父にあたる左馬介の父三宅光安の手許で養育されたのである。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
われわれ一族、主君山城守様にじゅんじて、ここに討死して果てましょうとも、土岐とき源氏このかた、数百年、われわれに至るまで、不義不道の賊子は一族から遂に出しませんでした。誇りですッ。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
提灯しるしを持っているほうは、海部同心の安井民右衛門たみえもん土岐とき鉄馬のふたり。
鳴門秘帖:05 剣山の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
土岐とき。一つこう」
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)