創痕きずあと)” の例文
マリユスの美しい髪は艶々つやつやとしてかおっていた。その濃い巻き毛の下には所々に、防寨ぼうさいでの創痕きずあとである青白い筋が少し見えていた。
関東地震や北伊豆地震のときに崩れ損じたらしい創痕きずあとが到る処の山腹に今でもまだ生ま生ましく残っていて何となく痛々しい。
箱根熱海バス紀行 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
それは無名くすり指のさきから、手相見の謂わゆる生命線の基点へ走っている一すじ創痕きずあとなんですがね、実に鮮やかなもので見まいとしても目につくのです。
やがてその手足の創痕きずあとだの、ほころびの切れた夏羽織だのに気がついたものと見えて、「どうしたんだい。その体裁は。」と、呆れたように尋ねました。
妖婆 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
この外の点は、皆おなじ事で、不思譲なことに、殺害の時間も、短刀の大きさも、致命傷の位置も同じで、ただ創痕きずあとの深さが、すこし深いように報告されていた。
電気看板の神経 (新字新仮名) / 海野十三(著)
「ああ、この創痕きずあとの一つ一つがみな汝の忠魂と義心を語っている。みなも見よ。武人の亀鑑きかんを」
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そのまま、鮮血に染って倒れるやつを、足をあげて、脇腹をると、急所をやられたか、そのまま息絶えた様子。このさまを見て、他の水夫——ほお創痕きずあとのある物凄ものすごい男が
怪奇人造島 (新字新仮名) / 寺島柾史(著)
探偵の身にしては、賞牌しょうはいともいいつべき名誉の創痕きずあとなれど、ひとに知らるる目標めじるしとなりて、職務上不便を感ずることすくなからざる由をかこてども、たくみなる化粧にて塗抹ぬりかくすを常とせり。
活人形 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
と云うのは、上行大動脈に達している創底そうていを調べると、そこにはごうも、兇器の先で印された創痕きずあとがないばかりでなく、かえってその血管を、押し潰していることが判ったからだ。
潜航艇「鷹の城」 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
「向う疵の兼」というのは恐ろしい出歯でばだから一名「出歯兼でばかね」ともいう。クリクリ坊主のおでこが脳天から二つに割れて、又喰付くいつき合った創痕きずあとが、まゆの間へグッと切れ込んでいるんだ。
難船小僧 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
環境との争闘から生じた痛ましい創痕きずあとを、雄々しくもむき出しに見せつけている。
艸木虫魚 (新字新仮名) / 薄田泣菫(著)
昔時むかしを繰返して新しく言葉をついやしたって何になろうか、ハハハハ、笑ってしまうに越したことは無い。云わば恋の創痕きずあとかさぶたが時節到来してはがれたのだ。ハハハハ、大分いい工合ぐあいに酒もまわった。
太郎坊 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
花子は定の腕の中に仰向あおむけに抱きかかへられたまま薄眼を開いてゐた。れぼつたい唇が暗紫色に染まりその間から小さな舌のさきがあらはれてゐた。定はもすそをひき上げて花子の創痕きずあとをしらべた。
水に沈むロメオとユリヤ (新字旧仮名) / 神西清(著)
私自身にはなんとも、痛みも、かゆみも、残るのではございませんが、人様がそうおっしゃって、私を慰めて下さるので気がつきます。着物の上からまで、そんな創痕きずあとが見えるんでございますか知ら
大菩薩峠:27 鈴慕の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
ひどく指垢ゆびあかのついた書物がめちゃくちゃに積み重ねてあり、名前の頭文字や、略さないで書いた姓名や、怪異な形の絵や、その他さまざまな小刀ナイフで彫りつけたものなどの、創痕きずあとをつけられているので
しかし創痕きずあとは死ぬまで消えぬ。
坊っちゃん (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
しかし顔にはむしろ柔和な、人の好さそうな表情があった。ただ額の真中に斜めに深く切り込んだような大きな創痕きずあとが、見るも恐ろしく気味悪く引き釣っていた。
小さな出来事 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
また、衝動ショック的な死に方をした場合には、全身の汗腺が急激に収縮する。そして、その部分の皮膚に閃光的な焔を当てると、そこには、解剖刀メスで切ったような創痕きずあとが残されるのだ。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
それに耳の下からあごへかけて斜に、二寸位の創痕きずあとをありありと見た。おお、松風号に同乗した機関士松井田四郎太まついだしろうた! もう二十年前に、どこかで死んでしまった筈の松井田機関士。
空中墳墓 (新字新仮名) / 海野十三(著)