入海いりうみ)” の例文
まず品川の入海いりうみを眺めんにここは目下なお築港の大工事中であれば、将来如何なる光景を呈しきたるや今より予想する事はできない。
武蔵の入海いりうみや尾勢の海岸に川の土が遠浅を埋め立てたと同時に、駿河などの多くの阿原を村にしたのは、すなわち陸地の上昇、川床の下降であろう。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
江の浦口野の入海いりうみただよった、漂流物がありましてな、一頃ひところはえらい騒ぎでございましたよ。浜方で拾った。
半島一奇抄 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
島で一番高い旭山へのぼってながめると、すぐ眼の下の入海いりうみに、六隻の戦艦が見える。『長門』『陸奥』『山城』の第一戦隊、『扶桑』『日向』『伊勢』の第二戦隊だ。
昭和遊撃隊 (新字新仮名) / 平田晋策(著)
松前まつまえの国の浦奉行うらぶぎょう中堂金内ちゅうどうこんないとて勇あり胆あり、しかも生れつき実直の中年の武士、るとしの冬、お役目にて松前の浦々を見廻みまわり、夕暮ちかく鮭川さけがわという入海いりうみのほとりにたどりつき
新釈諸国噺 (新字新仮名) / 太宰治(著)
山の半途なかごろで前が入海いりうみい所が有ったから、うせ毎年まいねん湯治にく位なら、景色も空気もいから、其処そこへ普請をして遣ろうと云って、其の普請に掛って入らっしゃると云うけれども
入海いりうみの浅瀬の水草みくさ日にねむる手樽てだるの駅をわが過ぎにける
東北の家 (新字旧仮名) / 片山広子(著)
入海いりうみ翡翠ひすゐの水のしやうとして黒檀こくたんを立つ老鉄の山
足を延べたるこゝ、入海いりうみのひたおもて
海潮音 (旧字旧仮名) / 上田敏(著)
うたひてすぐる入海いりうみ
孔雀船 (旧字旧仮名) / 伊良子清白(著)
入海いりうみ波間なみまにも
畑の祭 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
まづ品川の入海いりうみを眺めんにここは目下なほ築港の大工事中であれば、将来如何なる光景を呈しきたるや今より予想する事はできない。
水 附渡船 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
というわけは東京の近く、入海いりうみを隔てて対岸の上総かずさ安房あわとでは、今でも十一月下旬に始まる物忌ものいみの期間を、ミカリまたはミカワリといっているからである。
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
月は裏山に照りながら海には一面にぼうもやかかって、粗い貝も見つからないので、所在なくて、背丈に倍ぐらいな磯馴松そなれまつ凭懸よりかかって、入海いりうみの空、遠く遥々はるばるはてしも知れない浪を見て
甲乙 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
足を延べたるこゝ、入海いりうみのひたおもて
海潮音 (新字旧仮名) / 上田敏(著)
言葉ことばすくなき入海いりうみ
孔雀船 (旧字旧仮名) / 伊良子清白(著)
何処どこからとも知れぬが、確かに二三箇所から一度に撞出つきだされる梵鐘ぼんしようの響は、長崎の町と入海いりうみとを丁度円形劇場アンフイテアトルのやうに円く囲む美しい丘陵に遮られて
海洋の旅 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
今でもなお古見岳こみだけであり、それから東南の入海いりうみに向かって、流れ出る大川の名が古見川で、その流末の両側に僅かの沖積地がひろがっていて、それが古くからの古見の首邑しゅゆうの跡であった。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
この入海いりうみしまなれば
孔雀船 (旧字旧仮名) / 伊良子清白(著)
東京市の河流は其の江湾なる品川しながは入海いりうみと共に、さしてうつくしくもなく大きくもなく又さほどに繁華でもなく、誠に何方どつちつかずの極めてつまらない景色をなすに過ぎない。
水 附渡船 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
東京市の河流はその江湾なる品川しながわ入海いりうみと共に、さして美しくもなく大きくもなくまたさほどに繁華でもなく、誠に何方どっちつかずの極めてつまらない景色をなすに過ぎない。
八月の中旬横浜から上海シヤンハイ行の汽船に乗つて、神戸門司を経て長崎に上陸し、更に山を越えて茂木もぎの港にで、入海いりうみを横切つて島原半島に遊んだ後、帰り道は同じく上海より帰航の便船をまつて
海洋の旅 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)