トップ
>
備中
>
びっちゅう
ふりがな文庫
“
備中
(
びっちゅう
)” の例文
また備前、
備中
(
びっちゅう
)
には
日御崎
(
ひのみさき
)
というものあり。備中、備後にトウビョウというものあり。いずれも人について人を悩ますことをいえり。
迷信解
(新字新仮名)
/
井上円了
(著)
つまり……毛利方から提示して来た条件というのは、この際、
媾和
(
こうわ
)
するならば、
備中
(
びっちゅう
)
、
備後
(
びんご
)
、
美作
(
みまさか
)
、
因幡
(
いなば
)
、
伯耆
(
ほうき
)
の五ヵ国を
割譲
(
かつじょう
)
しよう。
新書太閤記:08 第八分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
備中
(
びっちゅう
)
の
阿哲
(
あてつ
)
郡にも、ナヌカベ(七日浴び)という語がある。すなわち子供が七度水を浴びるのをそういうのである(備中北部方言集)。
年中行事覚書
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
神戸の女学院の生徒で、生れは
備中
(
びっちゅう
)
の
新見町
(
にいみまち
)
で、渠の著作の崇拝者で、名を横山芳子という女から崇拝の情を以て充された一通の手紙を受取ったのはその頃であった。
蒲団
(新字新仮名)
/
田山花袋
(著)
備中
(
びっちゅう
)
の
青江
(
あおえ
)
であろうと書いたり、備前の
成宗
(
なりむね
)
と
極
(
きわ
)
めをつけたのもあり、大和物の上作と書いたのもあり、或いは、飛び離れて
天座神息
(
あまくらしんそく
)
などと記したものもありました。
大菩薩峠:12 伯耆の安綱の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
▼ もっと見る
正徹は
備中
(
びっちゅう
)
の出身であるが、その祖先は不明である。弘和元年(『新葉集』の成った年)に生れ、両統合体の成ったのは十二歳の年、二十歳頃はすでに京に出ていた。
中世の文学伝統
(新字新仮名)
/
風巻景次郎
(著)
あるとき天皇はそのころ
吉備
(
きび
)
といっていた、今の
備前
(
びぜん
)
、
備中
(
びっちゅう
)
地方
(
ちほう
)
の、
黒崎
(
くろさき
)
というところに、
海部直
(
あまのあたえ
)
という者の子で、
黒媛
(
くろひめ
)
というたいそうきりょうのよい
娘
(
むすめ
)
がいるとお聞きになり
古事記物語
(新字新仮名)
/
鈴木三重吉
(著)
播磨
(
はりま
)
、
美作
(
みまさか
)
、
備前
(
びぜん
)
、
備中
(
びっちゅう
)
、
備後
(
びんご
)
、
安藝
(
あき
)
、
周防
(
すおう
)
、
長門
(
ながと
)
の八ヵ国を
山陽道
(
さんようどう
)
と呼びます。県にすれば兵庫県の一部分、岡山県、広島県、山口県となります。ざっと
明石
(
あかし
)
から下関までであります。
手仕事の日本
(新字新仮名)
/
柳宗悦
(著)
いまの
居合斬
(
いあいぎ
)
りは
柳生新陰流
(
やぎゅうしんかげりゅう
)
の
鷲毛落
(
わしげおとし
)
。これほどにつかえるやつは、日本ひろしといえども二人しかいない。ひとりは
備中
(
びっちゅう
)
の
時沢弥平
(
ときざわやへい
)
、もうひとりは、
越前大野
(
えちぜんおおの
)
の
土井能登守
(
どいのとのかみ
)
の嫡子土井
鉄之助利行
(
てつのすけとしゆき
)
。
顎十郎捕物帳:10 野伏大名
(新字新仮名)
/
久生十蘭
(著)
また備前、
備中
(
びっちゅう
)
に
日御碕
(
ひのみさき
)
というものあり、備中、
備後
(
びんご
)
にトウビョウというものあり。いずれも人について人を悩ますことをいえり。
迷信と宗教
(新字新仮名)
/
井上円了
(著)
オケヂャもしくはウケヂャという食物は、日本海側では
越後
(
えちご
)
や
出雲
(
いずも
)
、太平洋側では紀州の
熊野
(
くまの
)
、
備中
(
びっちゅう
)
あたりにも分布している。
木綿以前の事
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
ここへ
粮米
(
ろうまい
)
を入れるなり、或いは、
備中
(
びっちゅう
)
から山野を越えて、急援に迫り、城兵と協力して、寄手の
鉄環
(
てっかん
)
を粉砕し、羽柴筑前守秀吉なるものの名へ
新書太閤記:06 第六分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「ひろれ」は蓑草で、本名は「みやまかんすげ」だというが、
越後
(
えちご
)
、羽後あたりでは「ひろろ」とか「ひろら」とかいう言葉を使う。
備中
(
びっちゅう
)
地方ではこの草で編んだ蓑を「ぼうりょう」と呼んでいる。
蓑のこと
(新字新仮名)
/
柳宗悦
(著)
備中
(
びっちゅう
)
の山中から数通の手紙が来た。
蒲団
(新字新仮名)
/
田山花袋
(著)
そこでこのたび
備中
(
びっちゅう
)
麦飯山の植木出雲守の征伐をいいつけ、一万五千の大将となし、晴の
初陣
(
ういじん
)
に立たせましたところ、攻略わずか一ヵ月足らずにて凱旋し
新書太閤記:06 第六分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
それよりも今一段古い形かと思うものには、婚舎が嫁の家に附属しているのがある。是も現在まだ
備中
(
びっちゅう
)
西部の島々、
伊予
(
いよ
)
の
上七島
(
かみしちとう
)
を始め、多くの土地に行われている。
木綿以前の事
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
第一は
備中
(
びっちゅう
)
の
釜
(
かま
)
鳴り、第二は備前の田植え、第三は
美作
(
みまさか
)
の夜桜にして、この三者はおのおのその国の一の宮にある
奇瑞
(
きずい
)
といわれている。夜桜は、一夜のうちに自然に桜が開くのである。
迷信と宗教
(新字新仮名)
/
井上円了
(著)
しかも
播磨路
(
はりまじ
)
からは、
備中
(
びっちゅう
)
、
美作
(
みまさか
)
、
伯耆
(
ほうき
)
、
出雲
(
いずも
)
、ほとんどが峠や
九十九折
(
つづらおり
)
の山旅にござりまする。しょせん牛車などは曳かれません。風雨の日もありましょう。
私本太平記:05 世の辻の帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
播磨
(
はりま
)
の一部では
挽割麦
(
ひきわりむぎ
)
と
蚕豆
(
そらまめ
)
とをまぜて、
塩加減
(
しおかげん
)
をして飯に
炊
(
た
)
いたもの、
備中
(
びっちゅう
)
の
吉備
(
きび
)
郡では麦と豆とを
炒
(
い
)
ってまぜて煮た米の
飯
(
めし
)
、
出雲
(
いずも
)
の松江附近では
番茶
(
ばんちゃ
)
を
煮立
(
にた
)
ててそのなかに飯を入れて煮たもの
母の手毬歌
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
伯耆
(
ほうき
)
、
備中
(
びっちゅう
)
、その余にわたる敵国のうごきを大観し、
吉川元春
(
きっかわもとはる
)
の軍、小早川
隆景
(
たかかげ
)
の軍、
毛利輝元
(
もうりてるもと
)
の軍などが、これへ来援してくる場合の大勢をもあらかじめ察するに便であった。
新書太閤記:07 第七分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
タヂナ
備中
(
びっちゅう
)
北木
(
きたぎ
)
島
野草雑記・野鳥雑記:01 野草雑記
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
備中
(
びっちゅう
)
から引っ返した秀吉を待って、心を
協
(
あわ
)
せ、力を合して、主君の
弔
(
とむら
)
い
合戦
(
がっせん
)
を遂行した。
新書太閤記:11 第十一分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
毛利を
繞
(
めぐ
)
る
衛星
(
えいせい
)
としては、播州に
赤松
(
あかまつ
)
、
別所
(
べっしょ
)
があり、南部中国には
宇喜多
(
うきた
)
、北部の
波多野
(
はたの
)
一族などあって、その
勢力圏
(
せいりょくけん
)
は、
安芸
(
あき
)
、
周防
(
すおう
)
、
長門
(
ながと
)
、
備後
(
びんご
)
、
備中
(
びっちゅう
)
、
美作
(
みまさか
)
、
出雲
(
いずも
)
、
伯耆
(
ほうき
)
、
隠岐
(
おき
)
、
因幡
(
いなば
)
新書太閤記:05 第五分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
昨年来、信長公の命をうけて、御幕下の将校、
羽柴
(
はしば
)
筑前守秀吉は、中国に攻め入って、この春以来、
備中
(
びっちゅう
)
高松城の清水
宗治
(
むねはる
)
の頑強な抵抗にくいとめられ、遠征の軍馬は、攻めあぐねている
態
(
てい
)
であった。
茶漬三略
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
こんどは、
備中
(
びっちゅう
)
の児島へ向い、出陣の指令を出す。
新書太閤記:06 第六分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
備中
(
びっちゅう
)
に
入
(
い
)
る
新書太閤記:07 第七分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“備中”の意味
《固有名詞》
備中 (びっちゅう)
旧国名の一つ。備中国。
岡山県にあった地名。備中町。
(出典:Wiktionary)
備
常用漢字
小5
部首:⼈
12画
中
常用漢字
小1
部首:⼁
4画
“備中”で始まる語句
備中守
備中国
備中玉島
備中平
備中行
備中鍬
備中檀紙
備中総社
備中越前
備中連島