九段くだん)” の例文
やがて、車が九段くだんに近い淋しい濠端ほりばたを走っていた時、われわれの姿なき眼は、前方の車上に、実に恐ろしい椿事ちんじを目撃したのである。
人間豹 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
ただし、町の人びとには、いたずら者として、市ヶ谷見附いちがやみつけから九段くだんにいたる間の人びとからは、憎まれはしなかったが、評判されていた。
私の歩んだ道 (新字新仮名) / 蜷川新(著)
私は錦町からの帰途桜田御門さくらだごもんの方へ廻ったり九段くだんの方へ出たりいろいろ遠廻りをして目新しい町を通って見るのが面白くてならなかった。
ただ原口さんが、しきりに九段くだんの上の銅像の悪口わるくちを言っていた。あんな銅像をむやみに立てられては、東京市民が迷惑する。
三四郎 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
何しろ、その当時のことで、銅像は東京市中に珍しく、九段くだんの大村さんの銅像以来のことで、世の注目をきました。
九段くだんの坂下の近角常観ちかずみじょうかんの説教所はとは藤本というこの辺での落語席であった。或る晩、誰だかの落語を聴きに行くと、背後うしろで割れるような笑い声がした。
三十年前の島田沼南 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
明神下みょうじんしたから九段くだんを登って、四谷伊賀町へはかなりの道のりですが、初冬のざしが穏やかで、急ぎ足になると少し汗ばんで来るのも悪い心持こころもちではありません。
九段くだんの内もつとも地にちかき所を太陰天たいいんてんといふ。(地をる事高さ四十八万二千五百里といふ)太陰天と地とのあひだに三ツのへだてあり、天にちかき熱際ねつさいといひ、中を冷際れいさいといひ、地にちかき温際をんさいといふ。
彼は、防毒マスクをスッポリ被ると、すこしでも兄達の住んでいる方へ近づこうと、風下である危険を侵し、避難の市民群とは反対に、神保町じんぼうちょうから、九段くだんを目がけて、駈け出していった。
空襲葬送曲 (新字新仮名) / 海野十三(著)
彼女が次の年に「白薔薇しろばら」を書いたなかに、赤襟、唐人髷の美しいお嬢さまが、九段くだんの坂の上をもの思いつつ歩く姿を、人の目につく黄八丈きはちじょうの、一ツ小袖に藤色紋縮緬ちりめん被布ひふをかさね——とあるのは
田沢稲船 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
これより先幕府は安政三年二月に、蕃書調所ばんしょしらべしょ九段くだん坂下さかした元小姓組番頭格ばんがしらかく竹本主水正もんどのしょう正懋せいぼうの屋敷跡に創設したが、これは今の外務省の一部に外国語学校をかねたようなもので、医術の事には関せなかった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
九段くだんの坂をのぼり詰めて
晶子詩篇全集 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
九段くだん遊就館ゆうしゅうかんを石で造って二三十並べてそうしてそれを虫眼鏡むしめがねのぞいたらあるいはこの「塔」に似たものは出来上りはしまいかと考えた。余はまだながめている。
倫敦塔 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
こころみに初めてあわせを着たその日の朝といわず、昼といわず、また夕暮といわず、外出そとでの折の道すがら、九段くだんの坂上、神田かんだ明神みょうじん湯島ゆしま天神てんじん、または芝の愛宕山あたごやまなぞ
秋、招魂祭で九段くだん靖国やすくに神社が、テント張りの見世物で充満している、ある昼過ぎのことであった。
猟奇の果 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
この馬琴の硯の水の井戸は飯田町の中坂なかざかの中途、世継稲荷よつぎいなりの筋向いの路次ろじの奥にある。中坂といっても界隈かいわいの人を除いては余り知る者もあるまいが、九段くだんの次の険しい坂である。
九段くだんの阪をのぼるとて
晶子詩篇全集拾遺 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
わたしは夕飯をすましてから唖々子をおうと九段くだんの坂を燈明台とうみょうだいの下あたりまで降りて行くと、下から大きなものを背負って息を切らして上って来る一人の男がある。
梅雨晴 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
神田かんだの高等商業学校へ行くつもりで、本郷四丁目から乗ったところが、乗り越して九段くだんまで来て、ついでに飯田橋いいだばしまで持ってゆかれて、そこでようやく外濠線そとぼりせんへ乗り換えて、御茶おちゃみずから
三四郎 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
半蔵門はんぞうもん、半蔵門でございます。九段くだんいち本郷ほんごう神田かんだ小石川こいしかわ方面のおかたはお乗換え——あなた小石川はお乗換ですよ。お早く願います。」と注意されて女房は真黒まっくろな乳房をぶらぶら
深川の唄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)