中津なかつ)” の例文
ちょうどそのとき、中津なかつからくろがね惣兵衛そうべえという商人しょうにん長崎ながさきにきていて、用事ようじがすんだので、中津なかつへかえることになっていました。
大阪において私共が亡父の不幸で母にしたがって故郷の中津なかつに帰りましたとき、家の普請ふしんをするとか何とか云うに、勝手向かってむき勿論もちろん不如意ふにょいですから
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
豊前中津なかつ領などの山奥では、材木の運搬を山男に委託することが多かった。もっとも彼ら往来の場処にはかぎりがあるらしく、里までは決して出てこない。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
かれその先に生れませる神、多紀理毘賣たきりびめの命は、胷形むなかた奧津おきつ一八にます。次に市寸島比賣いちきしまひめの命は胷形の中津なかつ宮にます一九。次に田寸津比賣たぎつひめの命は、胷形の邊津へつ宮にます。
づはとどこおりなく大阪へ——それから豊前ぶぜんへ廻つて、中津なかつの米を江戸へ積んで、江戸から奥州へ渡つて、又青森から津軽藩の米をことづかつて、一度品川まで戻つたところあらためて津軽の材木を積むために
印度更紗 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
みつは豊前ぶぜん中津なかつの城主奥平大膳太夫昌服おくだいらだいぜんたいふまさもとの家臣佐藤某の女である。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
しかし、このころから、こころなかでは、中津なかつからでていくことを決心けっしんして、その決心けっしんを、なんとしてでも実行じっこうしようと、おもいさだめました。
朝敵とめいついて、ソコで将軍御親発ごしんぱつとなり、又幕府から九州の諸大名にも長州にむかって兵を出せと云う命令がくだって、豊前ぶぜん中津なかつ藩からも兵を出す。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
づはとゞこほりなく大阪おほさかへ——それから豐前ぶぜん𢌞まはつて、中津なかつこめ江戸えどんで、江戸えどから奧州あうしうわたつて、また青森あをもりから津輕藩つがるはんこめことづかつて、一品川しながはまでもどつたところあらためて津輕つがる材木ざいもくむために
印度更紗 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
同 中津なかつ市 2
こども風土記 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
だが、長崎ながさきからここにくるには、中津なかつによってくるのがみちのじゅんというものだ。それを、おまえはおかあさんのおられる中津なかつをよけてきた。
中津なかつの旧藩士も藩と共に運動する者なれども、或は藩中にてかえってみずからその動くところのおもむきに心付かず、不知不識しらずしらず以て今日に至りし者も多し。
旧藩情 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
その上に中津なかつ藩では減禄をしないのみならず、平均した所で加増した者がある。何でも大変に割合がかった。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
中津なかつ奥平おくだいら藩士はんしの数、かみ大臣たいしんよりしも帯刀たいとうの者ととなうるものに至るまで、およそ、千五百名。その身分役名を精細にわかてば百余級の多きに至れども、これを大別たいべつして二等に分つべし。
旧藩情 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
江戸定府えどじょうふとて古来江戸の中津なかつ藩邸はんてい住居じゅうきょする藩士も中津に移住し、かつこの時には天下多事にして、藩地の士族もしきりに都会の地に往来してその風俗にれ、その物品をたずさえて帰り
旧藩情 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)