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よこでらまち
憶起す。……
先生は、
讀賣新聞に、
寒牡丹を
執筆中であつた。
横寺町の
梅と
柳のお
宅から
三町ばかり
隔たつたらう。
時に、
長野泊りの
其の
翌日、
上野へついて、
連とは
本郷で
分れて、
私は
牛込の
先生の
玄關に
歸つた。
其年父をなくした
爲めに、
多日、
横寺町の
玄關を
離れて
居たのであつた。
さきに
秋冷相催し、
次第に
朝夕の
寒さと
成り、やがて
暮が
近づくと、
横寺町の
二階に
日が
當つて、
座敷の
明い、
大火鉢の
暖い、
鐵瓶の
湯の
沸つた
時を
見計らつて、お
弟子たちが
順々
時に、
川鐵の
向うあたりに、(
水何)とか
言つた
天麩羅屋があつた。くどいやうだが、
一人前、なみで
五錢。……
横寺町で、お
孃さんの
初のお
節句の
時、
私たちは
此を
御馳走に
成つた。
さて
其夜こゝへ
來るのにも
通つたが、
矢來の
郵便局の
前で、ひとりで
吹き
出した
覺えがある。
最も
當時は
青くなつて
怯えたので、おびえたのが、
尚ほ
可笑い。まだ
横寺町の
玄關に
居た
時である。