“かんよう”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
涵養45.7%
肝要25.7%
簡雍7.1%
咸陽4.3%
寛容4.3%
官窯2.9%
漢陽2.9%
甘蠅2.9%
韓瑤1.4%
咸雍1.4%
官雝1.4%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
(ロ)水源すいげん涵養かんよう。 森林しんりんはかように雨量うりよう調節ちようせつすることが出來できると同時どうじ一方いつぽうでは水源すいげんやしなひとなり、河水かすいれるのをふせぎます。
森林と樹木と動物 (旧字旧仮名) / 本多静六(著)
念力ねんりき無論むろん大切たいせつで、念力ねんりきなしには小雨こさめひとらせることもできぬが、しかしその念力ねんりきは、なにいても自然しぜん法則さだめかなうことが肝要かんようじゃ。
玄徳は即日、兵馬をととのえ、徐州には糜竺びじく簡雍かんようの二人をとどめて、自身、関羽、張飛、孫乾のともがらを率きつれて、邳郡ひぐんから淮南への往来をり塞ぐべく出発した。
三国志:04 草莽の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
丞相は斜谷やこくから進まれ、咸陽かんようへ伸びて出られたら、魏の夏侯楙かこうもなどは、一して破り得るものと信じますが
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
近代の人ではアンリー・ルッソーの画を座右ざゆうにしてます。元来がんらい氏は、他に対して非常な寛容かんようを持って居る方です。
遠い唐の時代からかまが築かれ、宋元の頃には、宮廷の御用品を焼く官窯かんようが出来、それに附随する役所だの、商家だの、職人町などで、当時、支那第一の陶府とうふといわれるほど殷賑いんしんを極めていた。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
二十一年建文帝章台山しょうだいさんに登り、漢陽かんように遊び、大別山たいべつざんとどまりたもう。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
そこには甘蠅かんよう老師とて古今ここんむなしゅうする斯道しどうの大家がおられるはず。老師の技に比べれば、我々の射のごときはほとんど児戯じぎに類する。儞の師と頼むべきは、今は甘蠅師の外にあるまいと。
名人伝 (新字新仮名) / 中島敦(著)
韓瑛かんえい韓瑤かんよう韓瓊かんけい韓琪かんき、みな弓馬に達し、力しゅうに超えていた。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
韓瓊かんけい韓瑤かんよう韓琪かんきが三方から
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
退屈の刻を、数十すじゅうの線にかくして、行儀よく三つ鱗の外部そとがわを塗り潰す子と、尋常に手を膝の上に重ねて、一劃ごとに黒くなるまるの中を、端然たんねんと打ち守る母とは、咸雍かんようの母子である。和怡わいの母子である。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
後護軍興軍中郎将 官雝かんよう
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)