簡雍かんよう)” の例文
そこで関羽は、糜竺びじく簡雍かんようなどと協力して、この膨大ぼうだいなる大家族を、次々に舟へ盛り上げては対岸へ渡した。
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
玄徳は即日、兵馬をととのえ、徐州には糜竺びじく簡雍かんようの二人をとどめて、自身、関羽、張飛、孫乾のともがらを率きつれて、邳郡ひぐんから淮南への往来をり塞ぐべく出発した。
三国志:04 草莽の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「……そうだ、簡雍かんようの智恵をかりてみよう。簡雍は近ごろ、袁紹にも信頼されて、おるらしいから」
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「こは意外な仰せです。玄徳は不肖の主ながら、生死を一つに誓う輩には、文に孫乾、糜竺びじく簡雍かんようあり、武には関羽、張飛、趙雲あり。決して人なしとは思われません」
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
あくる日、簡雍かんようと名乗って、一輛の車が、城門の下へ来た。劉璋が門を開かせて
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そのあとで、すぐ簡雍かんようは袁紹の前へ出た。そして袁紹を不安に陥れた。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「こうしてはおられぬ。——簡雍かんよう、おぬしは君のおあとを慕って急げ」
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
玄徳麾下の簡雍かんよう糜竺びじくのふたりが守っていたが、城をすててどこかへ落ち去ってしまい、あとには陳大夫ちんたいふ陳登ちんとう父子おやこが残っていて、内から城門をひらき、曹操の軍勢を迎え入れたものであった。
三国志:05 臣道の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
簡雍かんようはあわてて車から飛び降り、無礼をわびて、急に慇懃いんぎんになった。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そのほか、孫乾、簡雍かんよう糜竺びじく糜芳びほう、劉封、呉班ごはん、関平、周倉、廖化りょうか、馬良、馬謖ばしょく蒋琬しょうえん、伊籍——などの中堅以外には、新たに玄徳に協力し、或いは、戦後降参して、随身一味をちかった輩にて
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
近づいて抱き起してみると、味方の大将、簡雍かんようであった。
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)