鴨川かもがわ)” の例文
また上京かみぎょうの寝殿の長押なげしにい崩れて、柔媚じゅうびな東山を背にし、清澄な鴨川かもがわの水をひき入れた庭園に、恍惚こうこつとしてながめ入る姿を描くのである。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
四条中東ちゅうとうの京の端、鴨川かもがわの流近く瀬鳴せなりの音が、手に取って聞えるような茶屋宗清むねせいの大広間で、万太夫座の弥生狂言の顔つなぎの宴が開かれていた。
藤十郎の恋 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
鴨川かもがわをはさんで、先斗町ぽんとちょうと祇園。春の踊りでも祇園は早く都踊りがあり、先斗町はそれにならって鴨川踊りをはじめた。
モルガンお雪 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
これで七難を隠すというのに、嬰児あかごなつくべき目附と眉の形の物やわらかさ。人は皆鴨川かもがわ(一に加茂川に造る、)君の詞藻は、その眉宇びうの間にあふれるとうのである。
三枚続 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
二人は毎晩のように三条とか四条とかいうにぎやかな町を歩いた。時によると京極きょうごくも通り抜けた。橋の真中に立って鴨川かもがわの水を眺めた。東山ひがしやまの上に出る静かな月を見た。
(新字新仮名) / 夏目漱石(著)
碧桐あおぎりの蔭にほこりかぶった瓦斯の見えるある下宿屋の前へ来かかったとき、母親と車夫との話し声を聞きつけて、薄暗い窓のすだれのうちから、「鴨川かもがわの姉さまかね。」と言って
足迹 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
六月はじめのあさ日は鴨川かもがわの流れに落ちて、雨後の東山ひがしやまは青いというよりも黒く眠っている。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
忠「京の鴨川かもがわから来た人で、只今早稲田に居ります、早稲田の高田の馬場の下辺りで施しに針を打ちます、鍼治しんじの名人で、一本の針でいざりの腰が立ったり内障そこひの目が開きます」
業平文治漂流奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
また鴨川かもがわの堤の上の出て立つと、北山と西山とにはおりおり水蒸気が薄く停滞して、峰の遠近に応じて美しい濃淡ができる。ははア春霞というのはこれだなと初めてわかった。
雪国の春 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
宿の裏の河原、涼み台、岸に咲くあか柘榴ざくろの花、四条の石橋の下の方からはしり流れて来る鴨川かもがわの水——そこまで行くと、欧羅巴ヨーロッパの戦争も何処どこにあるかと思われるほど静かであった。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
鴨川かもがわの芸妓は幕吏に追われる志士を救い、寒駅の酌婦は関所破りの博徒に旅費を恵むことを辞さなかった。トスカは逃竄とうざんの貧士に食を与え、三千歳みちとせは無頼漢に恋愛の真情を捧げて悔いなかった。
濹東綺譚 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
まつの一室(鴨川かもがわに臨んでいる)
出家とその弟子 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
「コノ間ハ運ヨクスグニ掴マッタノニ今日ハナカナカ掴マラナイノヨ。電車通リニシバラク立ッテイタケレド、何シロ時刻ガ時刻ダカラ一台モ通ラナイ。アスコノ鴨川かもがわタキシーマデ歩イテ行ッテ、寝テイルノヲたたキ起シテ乗ッテ来タノデス」
(新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
鴨川かもがわの水は、来春の晴着はれぎを、種々いろいろと、いろいろの人のを染めるなかに、この新郎新婦の結婚着も染められたのだ。年の瀬と共に川の水はそんなことも流してもいたのだ。
モルガンお雪 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
それが先生、一体がお夏さんは、歌だの手習だのは大嫌だいきらいで、鴨川かもがわなんて師匠取をするんじゃあないんですが、ただいま申しましたその焼け出されが只事ただごとじゃアありません。
三枚続 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
「おや、鴨川かもがわわたやつがある。実に詩的だな。おい、川を渉る奴があるよ」
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
南はあたたかに、北は寒く、一条路ひとすじみちにも蔭日向かげひなたで、房州も西向にしむきの、館山たてやま北条とは事かわり、その裏側なる前原、鴨川かもがわ、古川、白子しらこ忽戸ごっとなど、就中なかんずく船幽霊ふなゆうれいの千倉が沖、江見和田などの海岸は
海異記 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
ちょうど同じ日に一足後れて、お夏さんをめとろうという、山の井医学士の親類が、どんな品行だか、内聞ないぎき、というので、お夏さんの歌の師匠の、根岸の鴨川かもがわの処へ出向いたのが間違のもとです……
式部小路 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
初のぼりだのに、宇治も瀬田も聞いたばかり。三十三間堂、金閣寺、両本願寺の屋根も見ず知らず、五条、三条も分らずに、およそ六日ばかりの間というもの、鴨川かもがわの花のくるわに、酒の名も、菊、桜。
白花の朝顔 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)