高田たかた)” の例文
拙者主家しゅうかの御領分越後えちご高田たかたよりの便たよりによれば、大伴蟠龍軒似寄によりの人物が、御城下にきたりし由、多分越後新潟辺にるであろうと思われます
後の業平文治 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
高田たかたしろ大手先の広場ひろばに、木をかくけづり尺をしるしてたて給ふ、是を雪竿さをといふ。長一丈也。雪の深浅しんせん公税こうぜいかゝるを以てなるべし。
秋骨君が言う処おおいにわが意を得たものである。こはただちに移して代々木よよぎ青山あおやまの練兵場または高田たかた馬場ばば等に応用する事が出来る。
新井の薬師の帰りに、大久保へ出て野々宮君の家へ回ろうと思ったら、落合おちあい火葬場やきばの辺で道を間違えて、高田たかたへ出たので、目白めじろから汽車へ乗って帰った。
三四郎 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
矢上やがみしかり、高田たかたしかり、子母口しぼぐちしかり、駒岡こまをか子安こやす篠原しのはらたる箕輪みのわもつと不有望ふいうぼう
扨又清兵衞は弟長兵衞に盃盞さかづきをさしながら貴樣は如何して後藤先生を知つて居るやと問に長兵衞然ばえんと云ふもの奇代きだいな者にて今度こんどともつれて來りし此人はもと越後ゑちご高田たかたの浪人にて若き時同家中の娘を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
芦屋あしやより平湯駅ひらゆえきに出で、大峠おおとうげを越し、信州松本しんしゅうまつもとに出まして、稲荷山いなりやまより野尻のじりそれより越後の国関川せきがわへ出て、高田たかたを横に見て、岡田村おかだむらから水沢みずさわに出まして
敵討札所の霊験 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
雑司ぞうし鬼子母神きしもじん高田たかた馬場ばば雑木林ぞうきばやし、目黒の不動、角筈つのはず十二社じゅうにそうなぞ、かかる処は空を蔽う若葉の間より夕陽を見るによいと同時に、また晩秋の黄葉こうようを賞するに適している。
城下は岩船郡いはふねこほりむら上(内藤侯五万九千石ヨ)蒲原かんばら郡に柴田しばた(溝口侯五万石)黒川くろかは(柳沢侯一万石陣営)三日市(柳沢弾正侯一万石陣営)三嶋郡に与板よいた(井伊侯二万石)刈羽かりは郡に椎谷しひや(堀侯一万石陣営)古志郡に長岡ながをか(牧野侯七万四千石ヨ)頸城くびき郡に高田たかた(榊原侯十五万石)糸魚川いといかは(松平日向侯一万石陣営)以上城下のほかすこぶる豊饒ぶねう
東の方は本郷ほんごうと相対して富坂とみざかをひかえ、北は氷川ひかわの森を望んで極楽水ごくらくみずへとくだって行き、西は丘陵の延長が鐘ので名高い目白台めじろだいから、『忠臣蔵』で知らぬものはない高田たかた馬場ばばへと続いている。
伝通院 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
城下は岩船郡いはふねこほりむら上(内藤侯五万九千石ヨ)蒲原かんばら郡に柴田しばた(溝口侯五万石)黒川くろかは(柳沢侯一万石陣営)三日市(柳沢弾正侯一万石陣営)三嶋郡に与板よいた(井伊侯二万石)刈羽かりは郡に椎谷しひや(堀侯一万石陣営)古志郡に長岡ながをか(牧野侯七万四千石ヨ)頸城くびき郡に高田たかた(榊原侯十五万石)糸魚川いといかは(松平日向侯一万石陣営)以上城下のほかすこぶる豊饒ぶねう
みあかしの高田たかたのかたにひかりまち穴八幡あなはちまんみずいなりかも