餅屋もちや)” の例文
旧字:餠屋
場所ところ山下やました雁鍋がんなべの少し先に、まが横丁よこちやうがありまする。へん明治めいぢ初年はじめまでのこつてつた、大仏餅だいぶつもち餅屋もちやがありました。
『これなら精神統一せいしんとういつがうまくできるに相違そういない。』餅屋もちや餅屋もちやもうしますか、わたくし矢張やはりそんなことをかんがえるのでした。
町の入口の餅屋もちやかどから始めて、一軒一軒のき伝いに、二人は胡弓をならし、歌をうたっていった。
最後の胡弓弾き (新字新仮名) / 新美南吉(著)
餅屋もちやはすでに焼き払われていて、その辺には一人ひとりの諏訪兵をも見なかった。先鋒隊せんぽうたい香炉岩こうろいわに近づいたころ、騎馬で進んだものはまず山林の間に四発の銃声を聞いた。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
同類相求むとはむかしからあることばだそうだがその通り、餅屋もちやは餅屋、猫は猫で、猫の事ならやはり猫でなくては分らぬ。いくら人間が発達したってこればかりは駄目である。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
折角の和田わだ峠へ差しかかつたのはすでに夜で、翌日は今にも降出しさうな空合だつたけれど、快晴を待つ訳にもいかないので更にある地点まで(下諏訪から東餅屋もちやまで)道をダブつて
霧ヶ峰から鷲ヶ峰へ (新字旧仮名) / 徳田秋声(著)
なれるにしたがってそろそろ尻尾しっぽをだしてきた蛾次郎がじろうは、宿場人足しゅくばにんそくがよりたかって、うまそうに立ちいしている餅屋もちやの前へくると、ぎょうさんに、腹をかかえてしゃがんでしまった。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「どこのあんコロ餅屋もちやだか知らないが、野暮な火悪戯ひわるさをしたもので——」
まだ、戸の閉っている二軒のあべ川餅屋もちやの前を通ると直ぐ川瀬の音に狭霧さぎりを立てて安倍川が流れている。わだちに踏まれて躍る橋板の上を曳かれて行くと、夜行で寝不足のまぶたが涼しく拭われる気持がする。
東海道五十三次 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
その中でもことに有名なのは、加賀の松任まつとう餅屋もちやであったが、たしか越中の高岡にも半分以上似た話があり、その他あの地方には少なくとも世間の噂で、天狗の恩顧を説かるる家は多かったのである。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
「あのてまへは福吉町のチン餅屋もちやでござんすがね……」
老残 (新字旧仮名) / 宮地嘉六(著)
うば餅屋もちやは、餅屋といっても、ただの餅屋ではない。
大菩薩峠:33 不破の関の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
ずツと昔時むかししば金杉橋かなすぎばしきは黄金餅こがねもち餅屋もちや出来できまして、一時ひとしきり大層たいそう流行はやつたものださうでござります。
黄金餅 (新字旧仮名) / 三遊亭円朝(著)
と、もらったばかりの銀銭ぎんせん餅屋もちやだいへほうりだした。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
アレ、乱暴狼藉らんぼうらうぜきやつもあればあるものだ、アレげてツちまつた。金兵衛きんべゑさんは此金子このかねもつて、しば金杉橋かなすぎばしもとへ、黄金餅こがねもち餅屋もちやを出したのが、大層たいそう繁昌はんじやういたした。とふ一席話せきばなしでござります。
黄金餅 (新字旧仮名) / 三遊亭円朝(著)